2025年1月某日 昨日書いたことの続きでもあるんだけど
「困った状況になった時(テンパった時)」に、「その状況のきっかけになった人(や言動)」から「攻撃された」と感じてしまうこと、に興味がある。実際はその人には攻撃する意図などない場合でも、反射的に「敵」だと思ってしまう心の動きについて。
どういうことか。昨日書いたことを例にすると、僕は映像翻訳の添削をしていて、評価が難しい答案に出会って、どうコメントしたらいいものか迷った。迷った、というかちょっと困ってしまった。それで、困っている間の心理状態を思い出すと、その答案が僕を攻撃してきているような気がして、「この答案を提出してきた受講生は、反抗的なんじゃないか。許せん」という気分になっていたんである(困ってた45秒間だけの話ですよ)。
その受講生には誰かを困らせてやろうという悪意などあろうはずもなく、もし仮にあったとしても、それは添削者の僕に個人的に向けられたものではないだろうに、短絡的に「敵」だと錯覚してしまうこと。自己防衛意識の反射的な暴走というか。
これって、誰も得してないし、ひょっとしたらトラブルの元になりやすいし、なかなか要注意なのではないか。
会社で、自動車保険の事故受付をやってるんだけど。契約者の中には、ある程度の確率で、「警察への届け出をしたくない人」がいて、我々オペレーターとしては、対応に困ってしまう。
「警察に届け出をしたくない人」というのは、多かれ少なかれ後ろめたく思っているので、そんな人に「警察に届け出をしてください」などと正論を言えば、当然機嫌が悪くなる。だから、オペレーターとしてはできればそんな話の流れにはしたくないんだけど、警察に連絡が済んでない人には、「一度は届け出を依頼する」というのが受付のガイドライン(※最終的には当事者の判断であって、保険会社が強制できるものではないものの、警察届出を建前上お願いする。仕事のことなので詳細は省きます)。だから、「警察届け出を渋る人」に、オペレーターは困ってしまう、という話。
それで、会社の同僚を観察するに、やっぱりそういったお客を「敵」として認識してる気がするのね。電話が終わった後、「事故を起こしたのは自分のくせに、警察に届けたくないなんて、図々しい」みたく、お客への悪口がこぼれてしまったりする。
なんたる悲喜劇。ここでオペレーターたちは、どうしてかそこにありもしない「敵意」を勝手に拾ってしまって、警察届出を渋るお客に、腹を立てているのだ。「電柱にこすったぐらいで、いちいち警察を呼びたくない」とか「外出先の駐車場で、一緒に行った友人の車に擦った。揉めるはずもないし、これから遊びたいのに、警察届け出に時間を割きたくない」みたいなことを思っていても、ごく普通の感覚でしょ(それでOKかはともかくとして)。警察なんて呼びたくないよ。だけど、テンパったオペレーターたちの脳内では、まるで「道路交通法を無視する犯罪者予備軍が、反抗的な態度で受付業務を妨害してくる」という状態に変換されてしまう、という。
誰が得するんだ。お客を「敵」だと認識してもロクなことはなくて、オペレーター側もイライラするし、そのイライラを隠すことにも気を配らなくちゃいけなくなるし、どんなに隠そうとしても「敵意」がお客に伝わってしまっては、お客の方も腹を立て、スムーズに会話が運べなくなる。
「困った状況+テンパった自分=自分は攻撃されている」という認識で、自己防衛意識が暴走するという現象だと思うんだけど。冷静な判断なんて、ちょっとしたことですぐにできなくなるよな、ということか。どう考えても自分も「損」してると思うんだけど。
例えば。「赤ちゃんの泣き声」が電車内で聞こえてきて、それを聞いたまったくの他人がイライラする心理もこれに似てるんじゃないか。自分が「責められてる」「攻撃されてる」と感じて、その反動で「自分は悪くない」と防衛意識が働き、赤ちゃん(とその親)を「敵」だと見なしてしまうようなこと。さすがに赤ちゃんに敵意を読み取って、他人である自分が責められてると感じるのは自意識過剰が過ぎるんじゃないか。
世の中で。「左翼的なるもの」へのアレルギーも、似たような構造なんじゃないかと想像してるんだけど、どうかな。ストライキなり、座り込みなりの「抗議運動」を見聞きした時に、あるいは、現状を批判するような意見に触れただけでも、その意見の内容を吟味するより前に「ワガママ野郎が面倒なことを言ってる」と、脳内で「敵」として処理してしまうような心理。
まあまあ多くの人が、自分に向けられたものではなかった「敵意」を読み取って、冷静な認識をバグらせてる図式。控えめに言ってウンザリなんだけど。でもまあ、それも含めて「あるある」だから、面白がりながら観察していきたい。
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