鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】引っ込み思案の僕が「PTAコーラス」に参加した話(48歳になってもHIPHOP入門⑩)

2024年12月某日 大学時代の気持ちをもう一度味わうことになるとは

今年の振り返りの続きなんだけど。10月から12月にかけて、「PTAコーラス」に参加したんだった。

 

いやあ、これには驚いた。引っ込み思案で気おくれしがちな僕が、40代後半になってまさかのサークル活動である。どうして参加できたんだろう。我ながら理解できない。「誘われたのを断らなかった」からかな。簡単な話か。

 

話は娘の中学入学式の日にさかのぼる。その日、僕は「選挙管理委員」になったのだった(昨日書いた)。その「ついで」というか、貰っていたチラシの指示に従って「オヤジの会」のLINEグループにも入って。

 

皆さんはご存じだろうか、「オヤジの会」。PTAとは別に、父親たちが中心となって非公式のグループを作って、飲み会や学校行事のちょっとした手伝いなどをする。「PTAに参加するのはハードルが高いけど、保護者同士のつながりに参加したい」というような父親たちが参加しているのが「オヤジの会」で、これはうちの娘が通う中学校だけでなく、いろんな学校で似たような主旨のグループがあるらしい。「オヤジの会」という名前が多いみたい。固有名詞ではなく、一般名詞としての「オヤジの会」。

 

「皆さんはご存じだろうか」とは言ったけど、4月の時点の僕はよく知らなかった。チラシをもらった時に、なんとなく「みんな基本的には入っておくLINEグループなのかな」と思ったんだよな(実際にはそんなことなくて、僕は12人目のメンバーだった)。

 

これは、今思い起こすと不思議なことで。だって、小学校にも「オヤジの会」は存在して、似たようなチラシを目にしてたはずなのに、その時は興味を持とうとしなかったんである。それが、中学になって、自然と拒否感なく参加してしまった。

 

「どうしてもやりたいことでない限りは他人とは関わらない」というのが人生の基本スタンスだったはずの僕が、この日はなぜか、「どうしてもイヤでない限りは関わってみる」というテンションだったんだよね。まあ、そんなタイミングもある。それで、「どうしてもイヤでない限りは関わってみる」というスタンスが、その後も結構続いたんだよな。小学校の方の「オヤジの会」にも入れてもらって、それぞれ飲み会や行事の手伝いに参加した。


その挙句が「PTAコーラス」なんだ。12月にあるPTAの文化祭(各学校のPTAが出し物を発表し合う。コーラスがほとんどだけど、「ダンス」や「マジック」もあったみたい)に出演するんだけど、やはり男性メンバーが少ないらしく、オヤジの会や選挙管理委員で知り合った人が誘ってくれた。


これは、ちょっとハードルが高かったんだけど。「選挙管理委員」は、「誰かがやらなくちゃいけない」感じがするけど、「PTAコーラス」は、「やりたいからやってる」感じがして。そんな人、怖いじゃないか。どんだけポジティブなんだよ。飲み会はまだ理解できます。「別に楽しくなかったとしても顔見知りが増えただけでラッキー。というか、案外楽しいだろ」と、その日だけのポジティブで乗り切れる。だけど「コーラス」は、毎週練習があるんだぜ。マジかよ。


それでも結局、誘いを断らずに参加することにした。引っ込み思案とものぐさと人見知りを乗り越えたのは、大変恥ずかしながら、「コーラス」に「憧れ」があったからなんだろう。


初めて練習に参加した日。ママさんたちのソプラノとアルトの響き合いに圧倒されて、いきなり目が潤んでしまったよ。そこまで感動的な歌声だったということではない。上手い下手ではなく、「歌」ってのは琴線に触れやすいことを忘れてた。その日の僕は、「まさか感動することなんて起きないだろう」と油断してたんだろう。油断してるとすぐ涙腺が緩んでしまう。

 

周囲の人たちの歌声を聴きながら僕が思い出していたのは、子どもの幼稚園時代のこと。クリスマスにやる生誕劇で、保護者も一緒に歌う場面があるんだけど。その時の、ママさんたちの歌のあまりの美しさ。「美しさ」じゃないかな、「強さ」かもしれない。なんだろう、「私の子どもに、不幸が近寄ってきたら、絶対に許さない」という願いが、コアになった歌声の圧力といったらすさまじく、僕も共鳴して、自分の中にそういう願いがあったことを思い出して、勇気と覚悟がジワジワと心に満ちてくるような、そういう感動があったことを思い出した。


そうね、ちょっと大げさな言葉で書いてしまったけど、歌にはそういう力がある。心の共鳴を実感しやすい。そういう魔法にかかりやすい精神状態を作りやすい。コーラスとは、「人の歌を聴きつつ自分でも歌う」ということをするのだから、なおさら共鳴しやすくなってしまう。


最初の練習で泣きそうになって以来、週1回の練習(平日夜)は、毎回楽しみだった。子どもたちの夕食用に、カレーなり、ガパオライスなりを準備して練習に向かう。留守番の子どもたちも、「スマホいじり放題、YouTube見放題」の2時間が毎週来るのだから、まあまあ応援してくれたよ。

 

実際のところ、参加してみると気おくれする場面はあんまりなくてありがたかった。皆さん集中して練習するし、終わったらすぐ解散するので、「うまくおしゃべりできなかった」などと思い悩むこともなくて。(学校のゴシップとか、家庭の愚痴とか、そういう「おしゃべり」も楽しまなくてはいけないんじゃないか、という先入観があって、おしゃべりへの参加に失敗しそうで怖かったんだけど、特におしゃべりせずとも浮いたりしない雰囲気で助かった)


小柄なおじいちゃん先生が練習を仕切ってくれるんだけど、その指導が素晴らしくて、みんな自然と練習に集中してしまう。常にやさしく、温かい雰囲気なんだけど、出来てない部分は何度もやり直すところもあり、案外スパルタ。ポジティブに、諦めずに、あくまでも「音楽的な要求」をしてくるのだ。「このフレーズから、見える景色が変わってこなければいけないんです」「小さい声で歌うと言っても、エネルギーは死んではいけない。思いを内に秘めてるだけであって、むしろ強く歌うんです」とか。音程もリズムも怪しい烏合の衆に向かって、どんだけ前向きなんだよ、と。


「音楽的な要求」をしてもらったのは、本当にうれしく、ありがたかった。自分の歌がイマイチだろうと、思いを届けようとしていいんだ、と励ましてもらった気分。集中して練習できて、日々の憂さを忘れることができた気がする。


今思い返して笑ってしまうのは、夢中になるあまりに、練習への出席率が悪いメンバーに対して腹が立ってきた件。この歳になって、「もっと練習出て来いよ。練習しないと、上手くならないだろ」みたいな「合唱コンクールガチ勢」の気持ちを味わうことになるとは。


まあでも、僕が提案したオンライン自主練がドタキャンになった時は若干傷ついたけどな。どういうことか。平日夜の練習ではほとんど出席できない男性メンバーが2~3人いて、彼らのために週末に「30分だけオンラインで集まりましょう」と提案していたんだ。Zoomでつないで、一緒にお手本のYouTubeを聴き、楽譜の間違えやすいところや先生の指示を共有する、みたいなの。自主練というか、座学というか。もちろんそれだけで実力向上につながるとは言えなさそうだけど、ポイントをつかんでおけば、練習に来られた時に効果が上がりやすくなるでしょ、という意図で、それは伝わってたと思うんだけど… 当日になって、「やっぱり仕事が入りました」と複数のメンバーから連絡が入り、キャンセルすることに。


今思い出しても、やっぱり若干腹が立つな。仕事はしょうがないとして。たった30分(なんなら15分でもいい)なんだから、いくらでもリスケできるじゃないか。「〇時からなら」「〇曜日なら」と、別の時間の候補を伝えてくれればよくない? そうじゃないなら、「一緒に練習はしたくない」って意味でしょ。そんなんで、「歌のハーモニー」が合うのかよ、と。

 

我ながら、腹が立ってるのがすごい。もともと、「あんまりガチだったら怖いな」とか思ってた側なのに、自分がちょっと練習したら欲が出てきて、「SLAMDUNK」の赤木キャプテンの気分になってるのがウケる。

 

さて、迎えた本番の日。ちょっとしたミラクルが起きて。なんと、自分でも忘れてた「引っ込み思案」キャラが、肝心な場面で大復活を遂げる。「ランチに誘われたのに、反射的に断ってしまう」という、衝撃の展開。いやあ、びっくりしたなあ。

 

本番は、公立の文化会館でやるんだけど。そこで、午前中にリハーサルがあるのね。ステージへの経路や立ち位置、楽譜を開くタイミングとかを確認して。曲を部分的に歌って(他校のPTAも順番にリハーサルするので、通して歌うほどの持ち時間はない)。それが終わると、午後の本番前の再集合まで、2時間ぐらい空き時間ができる。

 

それで。男性メンバーの間で、「じゃあ、コンビニで軽食買ってきます? それとも、その辺に食べに行きます?」みたいな話になったんだけど。「すみません、僕は1回家に帰ります」と、反射的に断ってしまって。…これには我ながら驚いた。というか呆れた。だって、まったくのウソなんである。家には帰らないよ。歩いて20分かかるのに。本当に、ごく自然と、関わりを避けてしまったんだよなあ(詠嘆)。思春期かよ。

 

我ながら、どういうことか分からない。「もしランチに誘ってくれなかったらどうしよう」という不安がまずあって、「それなら自分から誘えばいいじゃないか。でも、言葉が出てこなかったらどうしよう」という不安につながって、「誘われないのも誘えないのも悲しすぎるから、いっそのこと”1人でいたい”ということにしよう」という、謎の自己防衛が無意識のうちにあって、それで反射的に嘘をついてしまったのか。いやあ、人間というものは、奥が深いぜ。

 

それで、公立体育館の休憩室に行って、自販機で買ったおにぎりと菓子パンを、1人で食べて。「ぼっち」でいることを見られたくないから、わざわざ10分ぐらい離れた場所を選んでるのが泣けてくるぜ。いったい何なんだ。「コーラス」というのはどちらかというとおまけなんであって、「親同士の交流」が本来やるべきことじゃないのかよ。なんで全力で逃げてるんだよ。いやあ、まさか自分の人生の中で、「空き時間のぼっちメシを見られたくないから学食いけない」っていう大学時代の気持ちをもう一度味わうことになるとは。

 

そんなことがありつつも、思い返すと「やってよかった」となるのも、また趣があるよな。結論としては、「来年もまたやりたい」なんである(本番の感想はないのかよ)。

 

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