鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】マンガばかり読んでるうちに年を取る⑥(もしあの瞬間に気づいてたら)

2023年3月某日 イクラを回収するだけの簡単なお仕事

スプラトゥーンの中で、チームで対戦するバトルとは別に、チームでミッションをクリアする「サーモンラン」という遊び方があって(スプラトゥーンの世界の中では、「大量に発生するシャケをひたすらに倒し、イクラを回収するアルバイト」という設定)、今日はそのイベントの日だった。普段はバトルの舞台になってるステージが、バイトの現場になる。2日間だけ遊べる特殊ステージで、かつその間のハイスコアを競う(上位5%、20%、50%に入るとゲーム内の記念アイテムをゲットできる)という。


僕は、3年前から去年の夏まで「スプラトゥーン2」に断続的にハマっていて(合計2700時間ぐらいプレーしたらしい。スイッチのアカウントの記録で分かるのだ)、それがようやく「スプラトゥーン3」で冷めたんだけど。ハマってたゲームにようやく飽きて安堵する気持ち(これ以上時間を吸い取られずに済む)もありつつ、夢中になれるものが1つなくなってしまった寂しさもあって。細々と「サーモンラン」だけ続けてる。


それで、「サーモンラン」に特化したイベントがあるのは、盛り上がる面と、「めんどいな」と感じる面の両方があって。そもそも、「2」から「3」に代わるタイミングで僕がスプラから離れたきっかけは、「新しいステージの攻略法を、調べたり考えたり練習したりするのがダルい」からであって(…それがめんどいなら、もう好奇心枯れてるだろ)、イベントがあっても「普段通りのルールで遊ばせてよ」とも思ってた。


その一方で、動画実況はちょっと楽しみだった。バトルとは別に、サーモンランにもやはり名人たちはいて、その動画をよく見てる。サーモンランの実況動画、独特の中毒性があってクセになる。プレーヤー同士が対戦するバトルと違って、コンピューターの敵キャラが相手だから、「駆け引き」「読み合い」というよりは、「パズル」「詰将棋」に近い感じ。どの順番で動いたら効率よくミッションがこなせるかの判断の連続がハラハラして面白い。このイベントにももちろんバイト名人たちは積極的に参加して、「超強いメンバーを組んで、ハイスコアを狙う」様子をライブ配信するのである。


ゲームが上手い人がチームメートと状況や作戦を伝えあう時の会話、ちょっと好き。あんまりスポ根っぽいアツいことは言わない文化部のノリなんだけど、ゲームには勝ちたいから必要なことは軍隊的に短く伝えあう必要はあって。相手を威圧したり媚びたりするための言葉を使ってるヒマはないところもスッキリしててうらやましい、というか。


今日は、その動画をアテにしながら添削仕事を進められて、まあ割と気分がよかった。自分では攻略できない難易度のタスクでも、誰かが攻略してるのを見ると、気分だけ味わえる。むなしいと言えばむなしい構図だけど、楽しいんだからしょうがない。

 

3月某日 こんなの、泣くしかない

読んだマンガ。


「タコピーの原罪」(タイザン5)…上下巻。読んでる時より、読み終わってから、いい作品だった感じがしてくる感じ? ストーリーも絵も演出も、上手いのか下手なのかちょっと判別しにくい。そんなこと、判別しなくてもいいじゃないか、と思うけど、案外重要なポイントのような気もする。つまり、上手いのか下手なのか分からないゾワゾワ感が、魅力なんじゃないか。「既存作品の要素をコラージュした焼き直しだろ」で、済ませちゃいけないような“手触り”があることで、いい意味での“後味の悪さ”に説得力がでる、みたいな。「ちょっとしたハッピーに簡単にアクセスできる道具ならいくらでも持ってる異星人が、誰のことも救えないツラさ」がツーンとくる。


「善悪の屑」(渡邊ダイスケ)…1~2巻。職場の人が面白いと言っていたので。復讐代行屋の話。ウシジマ君を薄味にしてダイジェストで手軽に読める感じ(そう言ったらディスりすぎなのかな)。1話目の最初からずっと胸クソ悪くて、それをエンタメとして読んでるこの気持ちはなんなのか。まあでも、続きが気になって読んじゃうよね。少なくとも第1部の最後(5巻)までは読むと思う。


「フラジャイル 病理医岸京一郎の所見」(原作:草水敏/作画:恵三朗)…9~10巻。これはヤバかった。号泣したよ。主人公がクール&サイコパスを崩さないおかげで、どんなお涙頂戴もまったくシラケずに読めちゃう。もう、「少年が、ずっと堪えてた涙を、ついに堪えきれなくなる」なんて号泣なしには読めないでしょ。しかも、「中年が昔ついたウソを苦々しく噛みしめる」とのミルクレープなんだぜ。こんなの、泣くしかない。年を取ってくると、涙腺もろくなるのはガチだな。僕はまだ46歳だけど、「あと何回こんなこと思えるかわからんのに、泣くのを堪えてられるか」みたいなことを思います。

 

3月某日 もしあの瞬間に気づいてたら

1ヵ月ぐらい前のこと。インターフォン鳴らされて出てみるとモニターに女の子。「○○くんの友達なんですけど、○○くんいますか?」と。うちの息子に、バレンタインチョコを渡しに来てくれたのだった。息子は遊びに行って留守だったので、代わりに僕が受け取るしかなかったんだけど。名前聞いて、忘れないようにスマホにメモしたりして。


それから1月経って。もうホワイトデーだから、あの子にお返ししなよ、みたいな話をして、習いごとの帰りに息子とお菓子を買いに行ったんだけど、その過程で、気づいたことがある。その女の子、僕が大学生の頃好きだった子に似てるんだけど! ううわああ、なんだこのエモーショナルな時限爆弾。チョコを受け取る時に気づかななくてよかったよ。もしあの瞬間に気づいてたら、「息子の同級生に妙に照れるヤバいおっさん」になってたでしょ。


恋愛とか、恋愛に限らず昔のことを思い出したりして、「甘苦い後悔」や「鈍い痛み」に苛まれること、あんまりないな。「あんなこと言わなければよかった/やらなければよかった」みたいな「自分の恥ずかしい言動」を思い出して赤面することはしょっちゅうあるんだけど、「あの時勇気を出して行動すればよかった」とか、「もうちょっと頑張ればよかった」というような後悔はあんまり感じたことがない。


今までの人生で、勇気や努力を常に怠らなかったとは到底思えないので、ちょっと不思議なんだけど。「どうせ僕には勇気や努力は足りてない」と、はじめからヘタレな自分を前提にしてるからかもしれない。悪く言えば「卑屈に諦めてる」んだけど、よく言えば「自分の欠点を受け入れて、その上でできることを考えてる」なのかもしれない。


いや、それにしても、あんまり悔いが思いつかないな。もうちょっと年を取ったら、「ホンモノの後悔」みたいなことが押し寄せてきたりするんだろうか。どうなんだろう。

 

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