2022年6月某日 眼科検診受けるのか
自治体から眼科検診のクーポンが届いて。今まで受けたことなかったんだけど、受けようかとちょっと思ってる。近眼なのはずっと昔から変わらないんだけど、この2年ぐらいで目が疲れやすくなってる気がするから。視力がさらに落ちて、メガネの度が合わなくなったのかもしれない。老眼が始まってるのかもしれない(老眼って何歳ぐらいから始まるんだ?)。
目が疲れやすくて、午後になると「1日の仕事量終わり」みたいな感じになるのか、やたら眠くなる。これがなんか、ちょっとへこむんだよな。「疲れて休みたくなる」は普通のことであって、落ち込む必要なんかないことだと思うんだけど、「タスクを片付ける気力もなく、かといってサボって好きなことをやる元気もないのかよ」みたいなことを思って、その日の自分を「かわいそうな奴」みたく思ってしまうんだ。
だけど、眼科検診、めんどくさい。受けに行って、メガネを作り直した方がいい、となったらどうするか。メガネを買うお金なんてないよ。いや、別にお金はなんとかなるけど、普段の「貧乏なのにダラダラと無駄遣い」を思い出しちゃうから、買い物なんて苦手なんだよ。メガネっていくらで買えるんだ? 安くて2万円ぐらいかな… こんな風に、何もする前から、めんどくさくなっちゃうんだ。眼科検診だけ切り取って、メガネを買うのとは分けて考えろよ、と思うんだけど。ままならない。
最近、耳の聞こえも悪くなってきたような気がする。これも落ち込むんだよな。電話のオペレーターやってるから、耳の悪さは職業的な死活問題でもあるわけだし。体のいろんなところのパフォーマンスが落ちてきて、その「老い」をまだ受け止められずにいる感じ。
そんなこと考えながらウダウダしてるうちに、クーポンがどこに行ったのか分からなくなっちゃったよ(ちょっと探したら見つかった)。「トホホ」が身にしみるぜ。
6月某日 村上春樹でも読んでやんよ
さて、午後になると1日の気力を使い果たしたような気分になってしまうことが続いていて。ツイッターをダラダラ見たり、YouTubeをダラダラ見たり、スプラトゥーンをダラダラやったりして、「非生産的な時間の捨て方」ばかりしてしまう。ツイッターもゲームも楽しいならいいんだけど、「他に何もやりたいことないし」みたいな無気力状態でやると、大して楽しくない。楽しくないだけじゃなくて、「ただでさえ疲れやすい目の無駄遣い」が悲しすぎる。
初期費用が払えずに、割高なネットカフェで生活するネットカフェ難民、に似てる。調理器具が揃えられずに、料理する気力なんて残ってないし、とジャンクフードばかり食べてしまう貧乏人、にも。コスト(お金や時間)は割高なのに、満足のクオリティはジャンク(中毒的な刺激はある)な娯楽に、なけなしの気力を吸い取られる感じ。
じゃあ他に何をするかって、ちょっとやりたいこと思いつかない。それで、久しぶりに村上春樹でも読んでみようかと、読み始めた。とりあえず本棚にあった英語版の「AFTER THE QUAKE」。
村上春樹を読むのが、YouTubeを見るよりも豊かな時間なのかはちょっとよく分からないし、別に豊かな時間を過ごさなくてもいいのかもしれない。まあでも、コミックレンタルが終わって、新しいルーティンが必要なわけであって。本を読みたいという気持ちになってから本を読むんじゃなくて、本を読んでるうちに、本を読みたいという気持ちを思い出していく、みたいなことを考えてる。
6月某日 娘が書いたハガキが届いた
娘が、移動教室の旅先で書いたハガキが届いたんよ。本人の方が先に帰ってきてるけど。冒頭から、「こんにちは、こんちくわ、こんチワワ、チワワ←これ〇ちゃんのパクリ」みたいな非常にウザいテンション。「元気です。9時間寝てるし、ご飯もおいしいし、もうずっと帰りたくないです!」「こっちは、緑で、寺で、米なんです!」とかそういうテンションの高さ。あとは適当に描いたイラストと、「プリンプリンぷりーん」みたいな謎の叫び。これ、あとから見ると恥ずかしくなるやつだな。取っといてやろう。
何が言いたいのかは分からないけど、すごく楽しそうなことは伝わってきた。「帰りたくないです」っていうのも、親としてはもちろん寂しいけど、ひょっとしたら一番うれしい言葉なのかもしれない。娘よ、そっけなくしていても、うれしいとついバレちゃう感じはモテると思うよ。無事に行けてよかったね。
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