鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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マスクを外して歩くタイミングを計りかねている件

僕はこの2年間、マスクの着用にはずっと複雑な思いを持っている。衛生的な意味でのマスク着用の有効性については不満はないんだけど、なんというか「マスク着用の必要性、有用性」の話に、「僕が嫌いな考え方」が便乗されてるような気がして、それが頭の裏を痒くさせるんだ。


僕が嫌いな考え方、その1。「我慢すればきっといいことがある」というようなおまじない的な信念。僕はこれが嫌い。


たしかに、何か難しいミッションを達成するためには、我慢が必要な時間が必ずあるだろう。辛抱なしに成功は訪れない。それはそうかもしれない。でもそれは、「何かを我慢したら、それを神様(的な存在)が見ていて、必ずご利益がある」ということじゃない。


コロナ禍のこの2年で、「我慢すればきっといいことがある」「楽しいことをするとバチがあたる」みたいな、謎の「おまじない的な願望」の発露と出会う機会が多かった気がする。最初の緊急事態宣言の時。「このコロナ禍に、パチンコはけしからん」「サーフィンはけしからん」「ゴルフはけしからん」みたいな話をツイッターでよく見かけた。


「この病気を封じ込めるために、できることは何でもする」というのは理解できるし、今から振り返ってそれを嘲笑するのは無意味かもしれない。でも、「精神論っぽい雰囲気をぶち壊す何か」に、ちょっとヒステリックに反応しすぎではなかったか。


人流を抑える、人同士の接触の機会自体を減らす、というのは具体的な対策だろうから、それはいいんだけど、それに便乗するように、「誰かが楽しそうなことをしてると、おまじないの効果が薄れる」みたいな雰囲気が蔓延してたような気がするんだけど。

 

近所の児童公園では、ブランコのゾーンを囲う枠に、「立ち入り禁止」のテープが貼られ、ブランコ自体が支柱にグルグル巻きにされていた。僕にはあの光景が本当にショッキングで、いまだに飲み込めずにいる。「立ち入り禁止」のテープまでは理解できなくもないんだけど、「ブランコのグルグル巻き」はやりすぎだよ。あれは、「感染対策の徹底」を超えてる。「楽しいことをするとバチが当たる」という信仰でしょ。


僕が嫌いな考え方、その2。「その場のルールに従わない人を放置できない」というやつ。


テスト会場や、飛行機や、新幹線で。「マスクを着用しなかった(または正しく着用しなかった)」人に対し、スタッフが注意をしたが、それに従わず揉めた、みたいなニュース。そのニュースを見るたびに、僕は「ほっとけよ」と思う。


いや、僕は何も、その「ノーマスクマン」を肯定したいわけじゃない。「多くの人が」「室内に」「長時間」集まるわけで、マスク着用を求めるのは妥当だと思うし、というか積極的に従ってきた。じゃあ何が嫌なのかと言うと、ルール順守100%への潔癖症が怖い、というか、ここにも「従わないヤツがいるとおまじないの効果が薄れる」というような謎の信仰心を感じる、というか。


僕も「ノーマスクマン」が声高に何かを主張してマスクをどうしても着けない、のには腹が立つ。「感染対策」とか、「事前に周知されたルール」とか以前に、「それ、スタッフを困らせようと思って、わざとやってるよね」という意味で腹が立つ。記事をいくつか見ると、航空会社としては強制はできないのが前提で、マスク着用や席の移動を求めたところ、騒いだから降ろされた、みたいな感じが多そう。それで飛行機の出発がかなり遅れたりしている。


で、僕が思うのは、「マスクを着けてください」と繰り返すのは、ある意味ノーマスクマンの「思うつぼ」じゃないですかね、ということ。「マスクを着けてください」「イヤです」と1回言ったら、あとはもう無視、放置でよくないですか? だってもう、その人絶対従わないじゃないですか。それなのに何度も注意したりするのは、ノーマスクの主張をするチャンスを献上してるだけじゃないすかね。それで飛行機の出発が2時間遅れるのってあまりにもバカバカしくないですか、と。


さて、このコラムは、誰かに何かを主張したいんじゃなくて、僕の感じてるモヤモヤをはっきりさせたくて書いた。繰り返しになるけど、僕はマスク着用に文句があるんじゃなくて、その「正しさ」に便乗してくるものに慎重でいたい、ということ。


考え始めたきっかけは、「人も混んでおらず」「外を」「黙って」歩いてる時は、マスク着けなくてもよくないですかね、と思ったことだ。なんでそう思ったかと言えば、実際にはマスクを着けて歩いていて、なかなか外せずにいるからなんだけど。周囲に誰もいなかったとしても、自分の口や鼻を無意識に触ってしまうのを避けられるので、マスクは無意味じゃない、かもしれない。でもどちらかと言えば、「僕は感染症対策をナメてません」というバッジ的な意味合いで着けてる。あるいは、「ノーマスクマン」だと思われたくないから、かも。


もう一度考えてみて、「人も混んでおらず」「外を」「黙って」の条件を満たしたらマスクを外して歩こう、と思った。でも、ヤバい人だとは思われたくない。アゴマスクはある意味一番ナメてる感じがする。だから、「いつでもマスクはつけられます」という感じで、ハンドバッグのようにマスクを持ってあるくのが自分的には一番しっくりくる。不条理コントみたいだけど、たぶんそれで実行すると思う。

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