鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】TOEIC受けてる場合じゃねえよ⑲

2022年3月某日 バカな舌のまま生きるしかない

メモ帳を普段持ち歩いていて。大変恥ずかしながら、「ネタ帳」なんだけど。人から聞いて調べようと思ったこととか、ラジオの大喜利に投稿しようと思ったネタとか(最近投稿してない)、なんでもメモをしてる。


昔、映画監督志望を気取りたかったのか、常にデジカメを持ち歩いてた2年間ぐらいがある。ストラップをつけて首から下げて、シャツの胸ポケットにカメラを入れてた。これは、「実際に写真を撮らなくても、常に写真を撮ろうとしてる。僕はそういう人間なのだ」と、自己暗示をかけるような、おまじないとしてのデジカメ(恥ずかしい)。


それと同じで、今もメモ帳は持ち歩いてる。この日記に書くような、恨みつらみばかりメモしてて、誰にも絶対に見られたくないものを、なんで持ち歩きたがるのか。好奇心を持続させる練習、生き延びるヒントを逃さないためのおまじない。


で、メモ帳を持ち歩くのはいいんだけど、必然的に書き終わるとそれがたまっていく。「誰にも見せたくないもの」が、自分の机の前の棚に「たまっていく」のは、なかなかの罰ゲームっぽさがある。だけど、なんとなく捨てるのが惜しい。


しかし、「なんとなく捨てるのが惜しい」ものを敢えて捨てていくのが、「未練を断ち切る」っぽくてスッキリする気がする。そう思って、最後に読み返してから捨てよう、と思ってるところ。


「バカな舌のまま生きるしかない」とかメモってあって、何をもってそう思って(あるいは誰かから聞いたのか)、どういう意味なのか、背景が知りたい。化学調味料の雑な味に舌がもう慣れてしまって、「素材本来の味を生かした料理」とかを味わえるような繊細な舌なんてない。それは、悲しむべきことなのかもしれないけど、もう取り返しがつかないんだから、クヨクヨしていてもしかたない。「バカな舌」なりに人生を楽しむしかない。そんな意味か。自分でメモしたことなのに、意味がよく分からない。ちょっと解説してほしい。

 

3月某日 将棋を教えてる

子どもに将棋を教えていると、なかなかにもどかしくてイライラすることもある。このもどかしさは、子育てのいろんな局面で感じることかもしれない。要するに、親は子どもの上達を「待つ」ことしかできない。


「馬を水飲み場に連れて行くことはできるが、馬に無理やり水を飲ませることはできない」みたいなことわざと同じ。勉強なり、スポーツなり、子どもがやる気になるかどうかは子ども次第。


じゃあほっておけばいいかというと、たぶんそうでもないところが難しい。自転車の練習をした時に、練習のやる気が出るかは子ども次第なんだけど、練習できる環境に連れて行くのは親がやらないといけない、みたいなことを思った。干渉しすぎても邪魔なだけなんだけど、放任するとやる気の有無以前の問題になってしまう。


さて、将棋なんだけど、「親が好きなものを子どもに無理にやらせる」という図式になるのが怖くて、将棋教室に通わせていただけで放置していた。でも、実力が12級ぐらいで1年ぐらい停滞してることにちょっと前に気づき、「放置していればいい、というわけじゃない」と思い直した。


「やる気がないものを無理やりやらせる」のはNGだと思うんだけど、「やる気」なんてものは、はじめから無尽蔵に湧いてくるものとは違って、やり始めてみると、そのうちに何となく出てくるものなわけであって。毎日少しずつ誘うぐらいはやってもいい。


それで、夕食後に駒落ち対局をやっているんである。この1ヵ月ぐらいで気をつけているのは、「子どもが上達するかは子ども次第」だけど、「僕の教え方の上達は僕次第」と考えること。「子どもの上達」というコントロールできないことを基準にすると、なかなかすぐには結果が出ずにもどかしい。だけど、「教え方の工夫」はできる。


2面指しで指して、子どもが指した「いい手」をなるべく覚えているようにする。これだけでも相当に難しいタスクだ。それをクリアできるように集中する。子どもの指すヘボ手にイライラしてる場合じゃない。感想戦では、なるべく子どもに話させる。自分で話すことでしか、考えを整理するコツは身につかない。この時も「聞き方」に集中する。


ちょっとずつできてると思うし、もうちょっと続けてみたい。

 

4月某日 「正社員」が妬ましい

年度が新しくなって。「新入社員」みたいな雰囲気の人を街で見かける。名札をつけてるわけでもないのに、「新入社員」って分かりますね。バッグがきれいすぎたり、まだスーツに慣れてない感じ、とか。見かけるたびに嫉妬してしまう僕がいて悲しい。「あんな、どんくさい雰囲気の子でも、生涯賃金は俺より上なのか…」みたいな。(実際には、どんくさいかどうか分からないし、生涯賃金が上かは分からない)


社内でも、人事異動で正社員たちの何割かは部署が変わっている(僕の直属のチームも3人抜けて3人入ってきた)。挨拶に回ったり、新しい仕事を教えたり教わったりが始まって、どこかうれしそう。異動した人は、「ちょっと出世」が含まれてることが多いし、異動してない人は慣れたチームで続けられるし、なんかウキウキしてる感じで、それも僕から見ると妬ましいんである。(まあ、新しく来た人がテンション低いとやりづらいと思うから、ウキウキっぽい雰囲気を出してるのは「それも仕事のうち」みたいなことだとは思うけど)


僕が自分を守るために自分に言い聞かせていることは、「妬ましいのはしょうがない」だ。ネガティブな感情を持つと、それに引っ張られて自分の中でのネガティブ勢力が膨らんでしまう。「こんなことで嫉妬するなんて、俺はなんてダサい人間なんだ」とか、「こんなささいなことで怒って、なんて未熟だ」「こんなことで悲しいのか。それに、この悲しさを誰にも話せずにみじめだ」とか。嫌な感情を反芻してしまうことがよくある。


だから、「しょうがない」と思って、自分の中でネガティブな感情を許して、無理にいじろうとしない。それがいい気がしてる。(言い聞かせているということは、「しょうがない」と思うのは難しい、ということでもあるんだけど)

 

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