2022年3月某日 好奇心の種火を絶やすな
子どもたちが小学校に入った時に、「この教科書はタダでもらったんだけど、本当にタダでもらったんじゃなくて、大人がお金を出し合って、子どもたちのために買ったんだ」みたいな話をした。
民主主義っていうのは、みんなで法律を決める、っていうことだよね。だから重要なのは、考えるための情報がみんなに開かれていて、みんなに届いていること。それで、その情報について、しっかり考えるための知性がみんなにないと、民主主義はうまくいかない。「なんとなく怖い」とか「なんとなく嫌い」とか、雰囲気でルールが決まっていったら、ダメっぽいでしょ。
子どもたちに、「自分のための勉強しなさい」っていうのは、僕にはあんまりしっくりこなくて。自分のためにだけじゃ頑張れなくない? 「大会で勝つため」とか、短期的な目標を作れば頑張れる気がするけど、根本にあるのが「自分のため」だと、「だったら別にサボってもいいや」みたいになりそう。だから、「みんなのため」とか、「未来の子どものため」とか、そういう感覚があった方がいいんじゃないか、と。
翻って、もう大人になった僕のこと。自分に、そういったちゃんとした知性が身についているとは到底思えなくて情けない。
なんで侵略戦争なんて起きるのか。それに加担しないためには、どんな投票をしたらいいのか。どんな世論に加わったらいいのか。自分がポンコツすぎて、すぐに思考がフリーズする。というか、思考するための知識の断片すら持ってないのが恥ずかしい。
で、恥ずかしいんだけど、恥ずかしがってる場合じゃない。落ち込んで、自分をみじめに思っても、ますます自分にフォーカスが合ってしまうだけだ。
じゃあ、今からでもロシア語、ロシア文化、ロシア文学を勉強するかっていうと、まあ、苦しいよね。この人生で2回ぐらいやろうとしたけど、どこかに行き着く前にやめちゃってたもの。それをもう1回できる気はあんまりしない。「興味のとっかかり」がちょっと少ない。
とか思って、「そうか。興味のとっかかり」って大事だな、とかのんきなことを思った。「義務感」や「使命感」や「勉強したら得する」みたいなことで「学び」を続けるのって難しいかな、という気がしていて。それよりも、「好奇心」の方がしっくりくる。「好奇心」が、「思考停止」から逃げる一番いいクスリになる気がする。
今、自分の中にわずかにある好奇心をバカにせずに捨てないこと。それを少しずついろんなものに広げること。(やっぱり、中学生気分が抜けてないことばかり書いてるな、と今日も思いました)
3月某日 リセット!
TOEICのリスニングが好調だったのでメモしておく。(模試をやって、100問中2ミス。満点スコアが出せるかもしれない結果で、とりあえずホッとしている)
「ルーティン」を決めてみたんである。選択肢をマークし終わったら「リセット」と心の中でつぶやいて、そこで思考を切る。次の問題に意識を移して、視線はシャーペンの先。そこで音声が問題の番号を言うので、心の中で「イエス」と返事をする。
これを決めてみたら、割と自然に集中できた気がする。ベストかどうかは分からないけど、ベストじゃなくても「決まっている」ということが大事。
part3と4は選択肢の先読みが有利だと言われてるし僕もなるべく読むようにするけど、それよりも音声の冒頭を逃さないことが重要だ。それをミスしにくいルーティンな気がする。
3月某日 「バカにしないで」と言う時に誰かをバカにしてしまうやつ
「ちはやふる」(末次由紀)を読んでる(とても面白いです)んだけど。4巻で嫌いなところがあって。
顧問の先生が、競技かるた部と運動部(テニス部?)を掛け持ちをしていて、でも運動部の用事の方ばかりを優先するので、主人公たちがそれを不満に思う。「(先生は)うちの囲碁将棋部みたいに、遊んでるだけって思ってる」と言うのだ(※セリフはちょっと違うかもしれません。もう手元になくて確認できてない)。
「運動部はおろそかにできない基礎練習があり、優劣がはっきり出る試合、伝統のある大会がある。それに比べて、文化部は、部室で仲良くしてるだけでしょ」と見下されているのに異議を唱える文脈で、「ウチは囲碁将棋部とは違う」って言ったらダメでしょ。
「かるた部をバカにしないで」っていう文脈のセリフで、囲碁将棋部をバカにしてしまったら、主人公たちに感情移入できないじゃないですか。将棋ファン、囲碁ファンとか百人一首へのあこがれを共有できそうなのに、敵にまわしちゃダメでしょ。「ハチワンダイバー」読みなさいよ、とか思うじゃないですか。
(セリフに「うちの囲碁将棋部」って限定がついていて、千早たちの高校の囲碁将棋部は本当にただ遊んでるだけなのかもしれないけど)
で、じゃあ「何部」だったらいいのかはちょっとよく分かんないんだけど。「鉄道研究会」とか「生物部」とか? それも結局ダメな気がする。「光画部」とか「映像研」とかならいいのかな。どうだろう。
この「バカにしないで」という文脈で誰かをバカにしてしまうパターン。僕は将棋ファンだから「このセリフよくないな」と思ったけど、普段気づかないうちに自分でも言ってたりしそう。というのは、ここでは「ダラダラしてるだけの部活」の代表例として「囲碁将棋部」を千早は言ってるわけで、本人としては「それが一般的な感覚」だと思って例に出してるからだ。
翻訳者が自分のギャラに不満を言う時に「○○のバイトだって、もっとまともな時給で働いてる」みたいなことを言ったとする。だけど、こう言う時に差別意識が見えてしまう。自分の仕事が、難しくて価値があると言いたいあまりに、別の仕事を「どうせ大して訓練の必要もない簡単な仕事」と見下してしまったりする。
この構造から逃れるのは、なかなかに難しい気がする。また考えてみたい。
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