2021年6月22日(火)久しぶりに日記を書く
日付がだいぶ飛んだ。翻訳の仕事をやっていたからだ。「翻訳仕事をやっている」と言っても、1日で翻訳に使う時間は4時間程度。その4時間も、合間にマンガを読んだりしているので、正味でいうと2時間半ぐらい。
なら、日記ぐらいかけるじゃないか、と思うんだけど、なかなか書く気にならない。これはちょっと自分的には興味深い現象だ。
「翻訳の合間にマンガを読む」は、実はかなり相性がよくて、マンガがサクサク読める。スマホのタイマーを6分にセットして、6分間×2ターン分翻訳をしたら、1ターン分マンガを読んでいい、とすると翻訳も捗る。「完璧な訳を仕上げる」ことを目標にすると気が遠くなって結局身動きがとれなくなるけど、「とりあえず目の前の6分間だけ頑張る」ならなんとか耐えられる。その6分をつないでいくのだ。
「家事」もある意味果てしないので、時間で区切る。6分翻訳、6分皿洗い、6分翻訳、6分風呂掃除、みたいな。「家事」も「翻訳」も「油断すると面倒でイヤになること」なので、時間で区切って交互にやることで「面倒さ」を無理やり忘れる、みたいな感じ。
それで、じゃあその「合間」に「日記」を持って来ればいいじゃないか、ともちょっと思うんだけど、やっぱりちょっと違う。日記を書くのは「ごほうび」にはならないし、「面倒だけど終わらせなくちゃいけないこと」でもない(つまり、書かなくても別にいい)。
じゃあ何で興味深く思ってるかというと、翻訳仕事で「締め切り」がある状態だと、この日記のような「やりたいわけでもやりたくないわけでもないこと」「必ずやらなくちゃいけないことでもないこと」をやらなくなるよな、と。自分の中で「保留」のフォルダに入ってる業務を、やろうかどうか迷うのも面倒で、で結局やらない、と。
例えば、秋から冬にかけての「NFLネット観戦」は、「ごほうび」であると同時に「義務、タスク」でもあるので、ちょっと忙しくてもなんとか時間を捻出する。でも、今やってる「NBAプレーオフ」は結局ほとんど見てなくて。
で、それって結構もったいないことなのかもな、とかもちょっと思ってて。「保留フォルダ」のなかに、日々を潤すなにかがあるような気がしていたり。年を取ってくると、「ごほうび」か「タスク」かしかやらなくなる気がする。本当は、そのどちらでもないことに「コク」がある気がするんだけど。勘違いかもしれないけど。
6月23日(水)博多ラーメンのカタさの話
最近あったこと、思い出しながらちょっと書こうかな。土曜日。娘と博多ラーメンを食べに行った。妻が「美味しかったから行こう」とリクエストした店だったんだけど、時間の都合で別行動になって。
娘の分と、僕の分と、注文するときに、「麺のカタさ」を聞かれるんだけど。「普通」を選んだんですね。
僕は普段、「バリ」とか「かため」で注文するんだけど、子どもは「バリ」じゃないよな、となんとなく思って、じゃあ「普通」と。それで、こういう時に、「娘が普通で僕はバリ」みたく言うのが、「ちょっとめんどいんじゃないか」とか思って、2つとも「普通」にした。
そうすると、驚くべきことが起こったんである。「麺のカタさ、普通」、めちゃくちゃおいしくて。すごく驚いた。
僕は今まで20年以上、「なんとなくそういうもの」として、「バリ」を選んできたんですね。博多ラーメン、「バリ」とかなんかエッジ利いたふうの言い方してるけど。「バリ」こそがデフォルト、ノーマルなんであって、「バリ」を注文するのは「通ぶりたい」とかじゃなくて、それが当たり前。「普通」とか注文するのはむしろ自己主張激しすぎ、なんだと思ってた。というか、後から振り返ってみればそういう発想だったのかな、ということであって、ほぼ無意識に、呼吸をするように「バリ」を注文してたんである。
だからなんだ、という以外ない話なんだけど。でも、僕は本当に驚いたんだ。今まで、「こだわり」ですらなく、ほぼ何も考えず「バリ」を選んできて、何も考えてなかったからこそ、その選択に疑問もなかったんだけど。ちょっとしたきっかけで「普通」を選んだら、そっちの方が自分の好みに合っていた、と。気づいて、面白かった。
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