鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】マンガばかり読んでるうちに日が暮れる(013)

2021年6月2日(水)「ほら、変人でしょ」と言われるとちょっとシラける


毎日毎日、わりと眠くて、それが不安になる。ただ単に朝早起きしてるから、昼過ぎに昼寝をしてるだけのルーティンなんだけど、なんというか、スッキリ起きられない。ゲームのやりすぎで、目がだいたい疲れている。


やっぱり、週1日ぐらい早起きしない日と、スマホを触らない日を作ってみた方がいいのかもしれない。(少し前にやってみて、わりとよかった気がする)


スプラトゥーン、「だいぶ飽きてきた」と思ってたけど、そうでもない。「やってみたい戦術、立ち回り」がないと、惰性になるよな、そうするとモチベーションも下がる、とか思って、「それって人生もそうなんじゃね」と。ゲームのモチベーションが下がっても大して困らないはずなのに、でもちょっと怖い。「好きなゲームすらつまらなくなったらどうしよう」みたいな。贅沢な悩みだ。(実際のところ、まだ面白くて、「目が疲れて、眠くて不安」みたいなことになってるんだけど)


最近読んだマンガ。「美食探偵 明智五郎」(東村アキコ)

(↑Amazonのリンクです)


品のある探偵もので、読みやすいのにしっかり酔える良作。


ホームズでも、ポワロでも、主人公の探偵が「いかに変人か」って相当重要だと思うんだけど、その「変人さ」がわざとらしかったり、演出過剰だったりするとシラけてしまう。(「古畑任三郎」も「相棒」も、「変人さの説明」に、やや「とってつけた押し付けがましさ」がある気がするけど、まああのぐらいがちょうどいいのかもしれない)


この作品では、探偵の明智五郎のキャラ付けが「美食家」「イケメン」「レトロ感(老舗デパートの御曹司、という設定)」なんだけど、それでも「大げさ」や「わざとらしい」感じはなくて。多分周りのキャラのリアクションが適切だからなのかな。「変人」と言って崇拝したり、嫌ったり、過剰にツッコミを入れたり、そういうやり取りがないところが上品。


7巻まで読んだ。まだ続いてるのかな(よく分かってない)。また読みたい。


ところで、タイトルの表記とかが間違ってるとダサいので、一応検索かけるんだけど、「美食探偵 明智五郎」、ドラマ化されてるのか。僕の読むマンガ、たいていドラマ化かアニメ化かされてるな。ツタヤの棚に置いてある時点で、ある程度以上のメジャー作品なんだろうと思ってはいたけど。それとも想像以上のタイトル数が「ドラマ化、アニメ化」されているのかもしれない。


今日は、娘が初めて吹奏楽部の部活に行く(始業前に30分の朝練)。小学校は結構厳格にガイドラインに従ってるはずなので、「緊急事態宣言」とはいえ、部分的な緩和があったのかもしれない。楽しみにしていたようで、よかった。(自分から「やりたい」と言ってきたクラブ活動が、ずっと休止状態で、親としては「この間にやる気がなくなっちゃったらどうしよう」と気を揉んでいた)


6月3日(木)楽しそうにしてる人なんてそれだだけで妬ましい

昨日、娘が吹奏楽部に行って、ホッとした。「親から言われて通う習いごと」ではなくて、「自分からやってみたいと言い出したクラブ活動」だったので、たとえ案外すぐ飽きたとしても、学ぶことは多かろう、と期待していた矢先、緊急事態宣言で部活動が休止状態だった。


「東京オリンピック、パラリンピックだって、開催できたほうがいいよな」っていうことをちょっと思った。開催できるかの是非の話は置いておいて、僕がやっぱり感情的にオリンピックを憎んでるな、と自分で気づいた、っていう話。


僕は、昔演劇をやっていて(それどころか劇団を主宰していた)、それを辞めてしまった。「本当は続けたいのに、あまりに売れないから諦めた」とかそういうことではなく(だって、売れなくても続ける方法なんていくらでもる)、「創作意欲がグダグダになって、それでも未練があってなんとなく続けていたのが、とくにきっかけもなく自然消滅した」みたいな感じ。


その後、基本的には、「演劇をやってる連中」のことを、正直言って妬んでいる。「演劇(や、それから派生したクリエイティブな何か)で少しでも稼いでいる人」のことはもちろん羨ましいし、「時間もカネも苦しいけど続けられるほど熱意のある人」も、「俺は天才だと勘違いしてる人」も、「若くて(あるいは若くなくても)何も怖くない人」も、全部それぞれに妬ましい。


だから、基本的には「ほとんどすべての演劇公演」は、「中止になったらザマアミロ」と、思ってしまう自分が確かにいる。かなりのリアリティで自分の中に存在してる。


というか、自分の心の貧しさを正直に見つめるのなら、「楽しそうにしてる人」のことはただそれだけで妬ましくないですか。


そんな嫉妬の感情は不毛以外の何ものでもないので、できるだけ囚われないようにしたい。それなのに、このコロナ禍の恐ろしいところは、「コロナの状況下なのに○○するなんてけしからん」と、いかにも正しい側に自分を置いて、「楽しそうにしてる奴(石田純一さんとか)」を責められることだ。これは恐ろしい。普段、石田純一を妬んでいてもしょうがない、と我慢していた感情が、「このコロナ禍にゴルフなんてとんでもない」と、「責めてもOK」な雰囲気になったら、我慢できなくなってしまう。


オリンピックも、パラリンピックも、正直言って僕は妬ましい。マイナースポーツが日の目を見るのも面白くないし、ハンディキャップを克服しようと努力する人たちも眩しすぎる。


だから、きっと中止になったら「ザマアミロ」と思っちゃう気がする。だから逆に、「ザマアミロ」なんて思わせる状況にならないでくれよ、とも思う。そんなこと、できれば思わないでいられるのが一番いいよ。


(実際にリスクがどの程度なのか僕は分からないので、開催すべき、中止すべきについてはあんまり意見はないです。「感情論でなく、科学的に判断」「できるだけコンセンサスを得た基準で判断」「誰が最終的な決断をして、誰が認めたのかを明確に示す」みたいなことが重要かな、と平凡なことを思っています)

 

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