鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】マンガばかり読んでるうちに日が暮れる(010)

2021年5月26日(水)開店したばかりの飲食店に入ってみた

昨日、買い物(新しい白シャツ)とコミックレンタル(日課)で街に出て、ついでに昼飯を済ませる気になった。いくつか候補が浮かぶも、なかなか決められずに迷っていたタイミングで、新しくできたばかりの「タレカツ丼」の店の前を通りかかった。


僕は、自分のなかに「ヘタレ」が染みついていて、「新しい体験」を反射的に避けてしまう。店の前に店主っぽい人が軽く「いらっしゃいませ」とか言っていて、そうすると本能的に目をそらしてしまって、できるだけ「何もなかった」感を出して通り過ぎてしまう。


一度通り過ぎると、もう一度戻るのが恥ずかしくなる。お分かりになるだろうか、この自意識過剰。「あいつ、ヘタレ過ぎて気づかないフリして通り過ぎたんだぜ、キモすぎ。でも、やっぱり食べたて戻ってきたんだぜ、そんなにカツが食べたいのかよ。食欲抑えきれなすぎ。キモ」とか思われるんじゃないか、とうっすら思いながら暮らしているんである。


それとは別に。僕はこの1年ぐらい、「ルーティンを意識して変える方がいいんじゃないか」と思いながら暮らしていて。つまり、「性格は変えられないけど、行動は変えられる。意識してルーティンを変えることで、ドツボにハマるように落ち込むことが減るんじゃないか」という話なんだけど。でも、ヘタレと自意識過剰で、「入ったことのない店に入ってみる」程度のことがなかなかできずにいた。


だけど、昨日は引き返して入ってみた。ちょっとおしゃれっぽい内装で、明るくて、外からも店内が見やすい。まだ11時で店内は女性客が1人だけ。これは相当に入りやすい。「明るい系のおしゃれ」は、「店に謎の主張がない」ってことで怖くない。「混んでる店だと、店員さん忙しすぎて怖い」っていうパターンでもなさそう。


「このコロナ禍で、飲食店を新しく出すなんて、さぞ大変なことだろう」みたいな、ちょっとチャリティー心もあった。晴れてて気分がいい、という心の軽さもあって、「新しい店に入ってみる」っていう、自分としてはハードルの高い行動を取ることができた。


で、で、で、結果どうなったか。


店の基本メニューであろう「タレカツ丼」、びっくりするほどおいしくなかったのである。なんとも皮肉な結末。「カツ」を「飯の上」に乗せて「丼」で食べる、そんな最強コンボで満足が得られないことなんてあるのか。あるんです。「好き嫌い」以前の問題として、「味のフォーカスが合ってない」。誰かが真剣に考えた結果とは思えない。と、食べながら腹が立ってきた。せっかくの昼食が残念で、悲しくて、腹でも立てないと食べ続けられない。


走馬灯のように、「自分だけは真剣なつもりで、でも何も生み出さなかった演劇少年時代(20年前)」を思い出して、申し訳ない気分で家に帰ったよ。その頃には、「ムカつくほどおいしくない丼もの」が面白く感じるようになってたけど。


5月27日(木)「空母いぶき」読み終わった

昨日、「空母いぶき」かわぐちかいじ、読み終わった(全13巻)。

 

空母いぶき(1) (ビッグコミックス)

空母いぶき(1) (ビッグコミックス)

 

 (↑Amazonのリンクです)


「感想は、あんまりない」かな。そっか、戦争というものは、いろんな要素が絡み合ってるものなのだな」と伝わってくるけど、「それだけ」と言えばそれだけ、かも。こんなことを言うのは野暮なんだろうけど、「沈黙の艦隊が面白すぎたからしょうがない」みたいな感じ。


「沈黙の艦隊」では、「自衛隊へのロマン」ももちろん描かれていたけど、それよりももっとスケールの大きい「人間へのロマン」をずっと歌いあげていて、主人公のカリスマ性に説得力があった。「ここまで熱意を込めて言われたら、やっぱりちょっと惚れてみたくもなるよ」という感じ。

 

(そっか、どちらかといえば「沈黙の艦隊」のリンクを貼っておこうか↓)

沈黙の艦隊(1) (モーニングコミックス)

沈黙の艦隊(1) (モーニングコミックス)

 

 

比べてみるとよくわかるんだけど、「空母いぶき」の表紙はずっと「空母」ばかり。「沈黙の艦隊」の表紙はずっと人物ばかり。僕は「人物」が描かれていた方が、少なくともマンガとしては面白いかな、と思う。

 

マンガの感想とちょっと離れるんだけど。ブルーインパルス(航空自衛隊のアクロバットチーム)が医療従事者への敬意と感謝を示すために東京上空を飛んでからちょうど1年ぐらいが経つらしい。あの1年前のことを、ちょっとマンガを読みながら思い出してた。

 

(2020年5月29日のことだったようです。参考↓)

ブルーインパルス、青空広がる東京上空で医療従事者に感謝のフライト。スカイツリーとも共演した各地からの写真を紹介 - トラベル Watch


あの時ツイッター上では(世間ではどうだったかよく分からないんだけど)、サヨク(あえてカナ表記)は「戦闘機をこれみよがしに飛ばすことがなんで医療従事者に感謝を伝えることになるんだ、ムダ、くだらん」と批判し、ウヨク(あえてカナ)は「こんな大変な時期に底の浅い文句を言いやがって。プロが最高の技術を見せること自体が最高の敬意を示すことなんだよ。バカか」と応戦して盛り上がってた。


で、僕は議論のかみ合わなさにもやもやを感じて、でもそれがうまく言語化できずに、気になったまま1年が過ぎた。


1年経って、その過程でちょっと言語化できたことがある。「コロナ禍に○○するなんて、けしからん」という言説なんてウンザリだ、ということ。


(コラムにまとめています↓)

「このコロナ禍において、○○するなんてけしからん」という言説が好きじゃないんだ - 鯖缶@3rd&forever


「感染症拡大というこの大変な時期に」というもっともらしい枕詞をつけて、ただ単に自分の嫌いなものを攻撃してるだけじゃないか。「自衛隊へのロマンを中心にしたセレモニー」が元から嫌いだった人が、「この大変な時期に」と呪文を唱えてから、自分の恨みを発散させる。「一体感を盛り上げたいのに、いちいち水を差してくるサヨク」を元から嫌いだった人が、やはり「この大変な時期に」と呪文を唱えて、弱々しいヤツらを攻撃する。


そこには、「ストレスの発散」だけがあって。「現実をより正しく見ようという意志」も「分かり合おうという気持ち」もない。(まあ、ツイッターがそういう場所なんであって、それに傷つくとは僕も相当にナイーブだな)


で、1年経って。やっぱり僕はまだもやもやしたままでいる。「一体感を保って」「気を引き締める」「感謝の気持ち」という、精神論は、ちょっともうウンザリかな、という気がする。でもその一方で、じゃあ精神論は不要なのかというと、それも違うような。


僕自身が大いなる思考停止の真っ只中にいることを思い出して、ちょっと情けなくなっているところ。


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