鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【日記】マンガばかり読んでるうちに日が暮れる(004)

2021年5月13日(木)悔しさを反芻して1日が過ぎた

どうでもいいことで昨日は一日中もやもやしていて悔しい。先日納品した翻訳仕事について、追加作業を求められた、という話。その依頼が昨日の朝来て、「は? 事前に指定された指示書に従って成果物を納品したんですけど? その指示書に載っていなかった指示を後出しでされても困るのですが」と反射的に腹が立った。


同じ案件の別のパートの翻訳者の処理に合わせてほしいという指示で(複数の翻訳者が組むことはよくある)、それほど不条理な指示ではないんだけど、めんどくさいことには変わりはない。


「翻訳原稿が事前の指示内容に不足しているということであれば修正するのは当然と思います。しかし、そうではなく追加の作業が発生するのであれば、その分の作業料をご提示ください」みたいなことを返信しようとしたけど、まあ、端的にいってそんな勇気はなくて、グズグズしているうちに1日過ぎた。


「面倒くさいことを言う奴だと思われて、仕事がもらえなくなったらどうしよう」とか思ってしまうんだ。


何が悔しいって、「そんな文句を言うぐらいだったら、さっさと作業を済ませてしまえばいい」とも思っちゃうこと。「自分が折れればいい」という負け犬根性がしみついてしまっている。


それで悔しさを反芻して1日が過ぎた。僕がもっと仕事を選べるような立場だったら、みたいなことを思う。それほど翻訳仕事に時間を割くことができない現状に甘んじて、受注先の新規開拓をサボっているから、こんなことになるんだ、と。


最近読んだマンガのメモ。「あなたのことはそれほど」(いくえみ綾)。

 

あなたのことはそれほど(1) (FEEL COMICS)

あなたのことはそれほど(1) (FEEL COMICS)

 

 (↑Amazonのリンク貼っておきます)


「不倫」のストーリーを描く時に、「不倫関係」に焦点をあてて、「禁断の愛」みたいなことを描くこともできると思うんだけど、このマンガは「夫婦」の方をむしろ描いてて。


もう、うまくいっていないことをお互いに理解しながら、それでも維持されてしまう「夫婦」という関係の形の不思議さ。「舞台中央に、いつ爆発するかわからない爆弾が置かれていて、登場人物はその爆弾に気づかないフリをして日常生活を送る。爆弾がどんどん膨らんでいっても、意地でも無視し続ける」みたいな設定の不条理コントみたい。


「成人同士が、十分に考えて将来を約束し合った関係」として「夫婦」はあるんだけど、実際にはもっと不安定で、簡単に壊れるもので。でも、「簡単には壊れない」という約束を演じ合うことはできる。その演じている自分は、確実で揺るぎなかったりする。


わりとステレオタイプ(メリット:わかりやすい、デメリット:ありきたり)な舞台設定や人物造形なんだけど、感情が揺らぐ瞬間の表情とかセリフとかが真に迫るものがあって、怖いもの見たさで読み続けてしまう感じ。面白かった。どこかに迫力のある手触りがあれば、その他の部分は分かりやすい方がいい、ってよく思う。

 

5月14日(金)映画を見に行ってない話

去年の3月頃から、タイトルを変えながら日記を書いてきて、ちょうどコロナ禍と重なっているので、自然とコロナについての話題も時々日記に登場する。「あの時どんな気持ちでいたのか」みたいなことをいつか振り返ろうと思っているうちにもう1年が過ぎて、ちょっと圧倒されてる。


去年、劇場公開される映画の字幕を担当したことがあった。何人かのチームのうちの1人としてだけど、初めて「劇場公開」の案件で、映画監督志望だった僕にとっては、感無量といえる仕事。ぜひ劇場で見ようと思ってたけど、公開のタイミングが緊急事態宣言と重なってしまった。


それで、そのことはもちろん「残念」だったんだけど、今振り返って思うと、本当に「残念」だったのか、ちょっと自分でも疑わしく思えてきた。


映画を見に行かなくなって久しい。ポケモンとかトーマスとかプリキュアとかに子どもを連れて行く機会はいくらでもあったけど、そんなときはだいたい映画が始まると5分で寝ていた(関係者やファンの方すみません。映画がつまらなかったからではないです)。自分で見たいと思って、見に行った最後の映画が何だったのか思い出せない。「イングロリアス・バスターズ」とか「グラン・トリノ」の頃かな。


思うんだけど、映画館に映画を見に行くって、「世の中から逃げて暗闇の中に避難する」「現実と向き合いたくなくて、空想の中に亡命する」みたいな、他に行く場所がないから仕方なく行く場所が映画館、というイメージがある。この「仕方なく」は、切実な、やむにやまれぬ「仕方なさ」なんだけど。


僕は、子どもが生まれてから悪夢を見なくなった。思春期の頃は、悪夢ばかり見た。しょっちゅう夢の中で親や劇団の仲間と大ゲンカをしたし、車のブレーキは利かず、大きな野犬に追われてばかりいた。それが、子どもが生まれてからほとんど夢を見なくなった。「眠れるときに深く眠っておかないとヤバいぞ」と、脳の危機察知能力が敏感になったのかもしれない。「悪夢なんて見てる場合じゃないぞ」と。


映画を見なくなったのも、ひょっとしたら同じようなことなのかもしれない。


で、その「久しぶりの映画館」のチャンスを逸して、もちろん残念だったんだけど、その「残念さ」が自分の中でよく整理できずに宙ぶらりんになっている感じがある。緊急事態宣言が解除されて、(僕が担当した映画じゃなくても)映画に行くチャンスはあった気がするけど、結局行ってない。


なんでこんなことを思い出したか。去年は出場できなかった「電話コンクール」に、今年は出ることになって。昨日職場で、担当の職員と挨拶したから。「ああ、去年はコロナの影響で、電話コンクールへの取り組みが、縮小されて、チームに入れなかったんだよな」と思い出した。(電話コンクールの話はまた気が向いたら書きます)

 

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