鯖缶@3rd&forever

2児(娘8歳、息子6歳)の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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「宿題はしなくていい」「登山するな」について思ったこと


上のクレームは創作じゃなくて実話で、15年以上も前に僕が受けた電話でのこと。「ズ」が濁点の前で改行されて、「カズミ」さんが「カス」みたくなってしまった、と。


「娘が泣いてるじゃねえか」とすごい剣幕でかけてきた。僕は、その娘さんに対して、「お父さんはお前のために怒ってやってるぞ」というスタンドプレーでクレームを入れてきたのかな、となんとなく想像したんだけど、だったら実際につながってない電話で演技してくれよ、という話か。(それとも、ただ単に何にでもクレームを入れる人で、「娘が泣いてる」という話の方が嘘なのかもしれない)


最近、サッカーの本田圭佑が、「宿題は嫌ならしなくていい」というツイートをして話題になった(“炎上”とは少し違う感じ)。

 

(ツイッターからの引用↓)

 

録音した「声のエッセイ」みたいなものを本田は出していて、「宿題は自分で決めさせて、もし嫌ならしなくていい」というタイトル。だから、「しなくていい」というのは言いたいことの一部分で、実際に言ってるのは「自分にとって意味のある課題を自分で設定するのが本来」「やる意義が見つからないのに形式的にやっても無意味」みたいなこと。まったく何もしなくていい、というよりは、「もっと効果的なやり方があるはず」という感じ。(声のエッセイ最後まで聞きましたが、「子どもの頃、宿題がとにかく嫌いだった」という正直な感想が、言いたいことの75%ぐらいに僕は感じました。それを「提言」みたく肉付けして、提言っぽくタイトルをつけるのは、僕はあんまりかっこいいとは思いませんでした)

 

 

それに対して、武藤嘉紀が引用リツイートで、「非常に危険」と指摘。僕自身は「非常に危険」はワードとして強すぎるかな、と思うけど、それはそれとして、めんどくさそうな先輩に対してストレートにコメントするのは、なんかかっこいい。

 

(ツイッターからの引用↓)

 

 さて、僕の話に戻るんだけど、「本田選手がこう言ってるんだから、宿題はやらなくていいんだ」っていう子どもがいたとしたら、親が叱ってやれよって話じゃないですか?


「本田さんは、イヤイヤだったけど、夏休みの最初の日に全部やったって言ってたよ」「あれは、学校の先生にもっと効果的な勉強の方法を考えて、っていう内容の意見だと思うよ」「本田さんが言ったからと言って、やらない理由にはなりません」とか。


(僕自身は、子どもには宿題はやらせます。でも、子どもが「宿題なんて、やらなくてもいいんじゃない?」と思うことは重要な気がするので、そういうことを言う“ちょいワル”の人の話に子どもには触れてほしいです)


ところで、「論争」が起きるときに、同じ土俵にあがるのが難しいな、と思う。特にツイッターではそうだけど、ツイッターでなくても、気をつけないと議論の前提から認識がずれてることが容易に起こる。

 

僕が繰り返し思い出すのは、組体操のピラミッドの話。春と秋の運動会シーズンになると、ツイッターでは「危険なピラミッドの強制なんて正気じゃない」っていうツイートが流れてくるのが定番で、その度に僕は、「しっかり練習すればアリなのでは」と思ってた。だけどちょっと調べてみると、新聞記事で問題だと指摘されるようなピラミッドは「小学生で7段、中学生で9段」で、僕がイメージしてたのは「3段」だった、と気づいて。そもそもの前提が違ってた、という。

 

(昔そのことについて書いたコラムです↓)

運動会での組体操について考え中 - 鯖缶@3rd&forever


ひょっとしたら7段のピラミッドでも「アリ」という人もいるかもしれないし、3段のピラミッドでも「ナシ」という人もいるかもしれない。それはいいとして、「ピラミッドはアリかナシか」という話をする時に、「そのピラミッドは何段なの」の前提は合わせておかないと、話にならない(そして、ツイッターでは、こんな単純なことが非常に難しい)


さっきの宿題の話でも、武藤選手が「時と場合」と言っているように、小学1年と中学3年では「宿題」の意味が全然変わってくる。中3なら「自分で課題を見つけろよ」という働きかけも有効に思えるけど、小1なら「まずは好き嫌いをせずに机に座る練習をしなさい」という次元になる。


最近では、「新型コロナ感染予防のための外出自粛」として、「登山やサーフィンの禁止は行き過ぎじゃないか」、という話題を見かけて、僕は興味を持っている。ここに、いろんな論点が詰まってる気がするから。「人の生命」「目に見えない不安」についての話題だからこそ、冷静にならなくちゃいけないんだけど、それがとにかく難しい。


「登山」と言った時に、その登山は具体的にはどんな登山を指すのか。そこを揃えないと「アリ」か「ナシ」かは決められないはず。僕は去年のゴールデンウィークに家族で高尾山に行って、ものすごく混んでいて驚いた。山手線の車内とまでは言わないけど、山手線のホームと同じぐらいには混んでいた。あれだと2メートルのキープは不可能。


でも、「車で」「1人で」「人のいない山」に行くのはどうか。これは感染拡大のリスクは限りなくゼロに近い(ように思える)。感染拡大のリスクは僕には評価できないから僕自身の「こうするべき」という主張はないんだけど、少なくとも「登山」という言葉の定義を合わせないと議論が無意味、だとは思う。(そもそも日本国内の各地域で状況が違うので、それを一緒に議論するのも不可能に思える)


「もし遭難した場合に、救急隊員に感染リスクを負わせる、医療機関をさらに逼迫させる危険がある」という考え方があって、それはそれで考慮すべき問題だと思うけど、ちょっと話がずれているかな、と思う。つまり、「自宅でオンライン飲み会」には感染拡大のリスクはゼロに近いけど、急性アル中で救急車を呼ぶリスクはある。だからオンライン飲み会すらも自粛すべきかどうか。多分、「オンライン飲み会がNGなんじゃなくて、無茶な飲み方がNG」という話なんじゃないか。登山やサーフィンも同じで、登山=危険ではなく、「実力以上の軽率な登山」がNGという話だろう。


(繰り返しになるけど念のため。僕には各地域の医療状況の逼迫具合は判断できないし、遭難者が「無症状の感染者」であるリスクが無視できる程度のものなのかは判断できないので、「危険が少しでもある=NG」は乱暴だな、という感想以上のことを主張するつもりはないです)


おそらく、「線引きが難しいからこそ一律NGと言うしかない」というのが現状なのかな、と僕は想像して、僕自身はそれは嫌いな考え方なんだけど(線引きが難しくても、丁寧に考えるべきだと思う。不安だからこそ、「この基準であればOK」を共有していかないと、全部NGの方向に針が振り切れてしまう)、ある程度仕方がないとも思ってる。(この「線引きが難しいから一律NG」が無期限に続くなら断固として反対したいけど)

 

一応最初の話に戻ってこのコラムを終わらせておく。自動的に入力された宛名の、切れ目が「カス」になっただけで、そんなこと自分で考えれば分かるだろう、という話から始めたんだった。議論の前提を合わせるのが難しいからこそ、宿題でも外出の是非でも、自分で考え直さないといけない。


コロナの状況下では、「各自の判断が尊重される」という状況は難しいだろう。難しいからこそ、丁寧に考えていきたいな、と思い直した。

 

 

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