鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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「コンビニでタバコを番号で注文しない客の話」で思ったこと

 

僕がツイートする時は、自分が2ヵ月ぐらい経ってから読み返すメモのつもりでツイートしていて、そのメモをネタにこうやってブログを書いている(ブログは、5年か10年経ってから自分で読み返すつもりで書いてる。実際には絶対に読み返さないと思うけど、そういう目線を想定して考えをまとめる、ということ)。


この「コンビニのタバコ」の話が、もはや何の話か分からなくなる気もするから一応書いておく。


「コンビニに置いてあるタバコ」について、店員は番号で言ってくれないとすぐにわからないことがある(タバコって、同じ銘柄でも「ライト」とか「マイルド」でタール数が違ったり、種類も多いしなかなか全部覚えきれないんだろう)のに、銘柄で言う客がいて腹が立つ、みたいな話がたくさんリツイートされていたのを目にした、ということ。


もし僕が店員の立場だったら、タバコの銘柄は必死に全部覚えるだろうな、とは思う。「他の多くの商品はお客が自分で手に取ってレジに持ってこられるけど、タバコはお客が注文しないといけないレジ内の棚にある。これを覚えないで時間がかかり、お客をイライラさせたりしたらバカらしい」というような。


もし僕が客の立場だったら、タバコは番号で注文するだろう。店に入りたての店員さんで、銘柄で言ってもわからない可能性が少しでもあるんなら、初めから番号で言う方が、待たなければならない時間が増える可能性を減らせる。僕の後ろにも待ってる人がいるんだ。僕だけの問題じゃない。


というか、もし可能なら、あらゆるものをタッチパネルで注文したいぐらいだ。自分が欲しいものを口にしなきゃいけないなんて恥ずかしい。「ファミチキ」「ななチキ」も番号で注文したい。


「タバコを番号でなく銘柄で伝えてくるコンビニ客がウザい」ということなんて、はてしなくどうでもいいことのように思うけど、この時の僕が、その話に興味を持った理由は分かる。「そういうバカな奴に限って偉そう」という実感があるからだ。


同じ話をこのブログのどこかで書いた気もするけど、僕がよく覚えてる体験談を。


コールセンター勤務の電話対応中、名前の漢字をお客に聞いたときのこと。「“ゆうじろう”の“ゆう”」という説明をした人がいた。


僕は個人的には、漢字の説明をする時に、有名人の名前は使わないようにしている。「自分の知ってる有名人が、他人にとっても知ってる存在だ」という世界観を前提にしている説明なので、それだけで十分尊大だと感じるからだ。「村上春樹の春」とは説明しない。「季節の春」でいいだろう。


まあ、いい。「石原裕次郎」は、いわば歴史上の人物に等しい。「徳川家康」とか、「野口英世」とかと同じカテゴリーに入れる人がいても否定しない。そもそも、伝わればいいのだ。僕は念のため、「石原裕次郎の裕、ころもへんに谷、ですね?」と聞き返した。


そうするとお客は、僕のことを鼻で笑ったのだ。そんな意図はなかったかもしれないけど、「こいつ、ゆうじろうのこと知らないなんて常識ないな」というニュアンスで。鼻で笑ってから、「え、ころもへんに右だよ」と。


「祐」である。これは「しめすへん」。旧漢字だと「示」だからわかりやすい。「禮(礼)」とかね。ほら、「示」を続けて書くと、「ネ」になるやつ。いや、まあいい。「しめす」と「ころも」の違いはこの際置いておくとして、何で自分で「ゆうじろう」っていう例を選んどいて、間違って覚えてるの? と、ここまで一瞬で思って、僕のオペレーターとしての答えは我ながら素晴らしかった。「(気づいたようなニュアンスで)あ、大変失礼いたしました」である。


何しろ、漢字が伝わればいい。そのお客の後ろにも、順番を待ってる別のお客がいるのだ。間違いを指摘する必要はない。


だけど、僕が何でこのことを覚えているかといえば、大変腹が立ったからだ。「間違ってる奴に限って、それを間違えたまま、人をバカにするんだ」「人をバカにしてるから、うとまれて、間違いに気づかないままなんだ」「ああ、そんな奴に、鼻で笑われた、ああ、それがオペレーター稼業のツラいところよ」と。


きっと、コンビニに限らず、客商売を経験したことがある人(つまり、ほぼすべての業種だろう)は、「バカな客にバカにされた悔しさ」を知ってる。だから多分、「タバコを番号で言わない客がウザい」に共感が集まったんだろうと思う。


僕が最近よく思ってるのは、例えば「他人(この場合店員やオペレーター)を見下した失礼な態度を罰する法律はない」ということ。


そんな法律はあるべきじゃないと僕は思う。失礼な態度なんて裁くための基準がない。恣意的に運用されるなら、法はただの暴力だ。「タメ口」は法では罰せられない。だから、「世間体」とか「道徳観念」とかが「失礼な奴」「行儀の悪いやつ」を裁いてきたんじゃないかと思う。だけど、もはやそんな世間は存在しない。「失礼な奴」だと思ったところで、「知ったことか」と開き直られてしまえばそれでおしまいだ。


残るは、宗教しかない。僕は天国に行けなくてもいいから、僕をバカにした「ころもへんに右ヤロー」を地獄行きにしてくれまいか。ノート3千冊分「石原裕次郎」と書かないと転生できない書き取り地獄に奴を送ってはくれまいか。そんな宗教があるなら入信してもいい、と8%ぐらいは思ってる。


(それで、その「ライトな宗教」の代わりをしているのがSNSなんじゃないかな、と思ってて、そのことについては多分そのうち書きます)

 

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