鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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「近所付き合い」も「顔見知り」もない世界で

ある日のこと。娘を習いごとに送るために、自転車で住宅街を走っていた。すると、おそらく50代ぐらいのメガネをかけた細身の女性に、ガラケーで写真を撮られた。


僕に対して、小声で何かブツブツ言っていたように思うけど、明瞭には聞き取れない。「迷惑なのよ」とは言っていたと思うから、敵対の意思を持って写真を撮られたのは間違いない。


自転車の僕を制止するような動きもなかったし、はっきりわかるように話しかけられたわけでもなかったからそのまま通り過ぎたんだけど、10秒ぐらい経ってから腹が立ってきた。「何か文句あるの? 文句があるならせめて何を言ってるかわかるように言ってくれよ」とか。


それで、もうその時はその女性とは完全にすれ違ってる状態だったから、幸いにも僕の怒りを加速させるような不快なことはそれ以上は起きなかったんだけど、もうちょっとしてから、今度はムカつくというより怖くなってきた。


少なくとも僕にとってその人は、「理由のわからないことで必要以上に怒ってる異常な人」に見えた。そんな人に、写真を撮られたのだ。いったい何に使われるのか。「近所の要注意人物」みたいな闇の深いブログに、「子連れ電動アシスト自転車暴走男」みたいなキャプションでアップされるのか。ひょっとしたら今まで気づいてないだけで、ずっと執拗に写真を撮られていたのかも。尾行されて、住所もバレて、それも晒されたりするのかも、とか。


理由のわからない悪意が向けられるのは怖い。何をどうしたら許してもらえるのかわからなくて、避けようがないからだ。


それで、夜になって帰宅した妻にその人のことを話しながら思ったことがある。妻に話しながら、「僕は“正常”なのに、“異常”な人に絡まれて怖かった」と訴えるんだけど、その人の“異常さ”を説明するのが難しくて、自分の“正常さ”を証明するのが難しくて、笑えてきた。その場面を知らない人があとから写真だけみたら、異常なのは僕のほうだと思うかもしれない。そして、それを避けるのはかなり難しい。ひょっとしたら、その部分が一番のポイントなんじゃないか。


「あのガラケー写真ブツブツおばさんって、怖いよね」って、誰かと話して確かめられたら、かなりの不安は消えるような気がした。「近所の人がみんな知ってる、ちょっと変な人」なら怖くない。「無害なんだから、あえて排除する必要ないでしょ」って思えるような気がする。

 

だけど、「近所付き合い」も「顔見知り」もない状況では、「誰もが不審者」に思えてしまう。たぶん、それが普通の防衛本能なんじゃないか。「自分に理解できない行動様式を持っている人は、頭がおかしい人」って思うのは、ある意味当然の感覚なのかもしれない。あるいは、「よく知らない人のことを決め付けるのはよくない」という観点で、「マイルドにヤバい人」のことを考えると、「考えてもしょうがないから無視しよう」になる。


情報が足りないと、「恐怖」か「無関心」かが結論になる。なんとも悲しい世界観じゃないか。


僕は今年の5月に親知らずを抜いたんだけど、その時、今まで行ったことのある歯科が休診日だったので、ネットで空いてる歯科を調べて驚いた。「ものすごくたくさんの歯医者が近所にある!」となって、そのあと正直ちょっと混乱した。どの歯医者を選べばいいのか、分からなくて。


親知らずを抜いてもらうのは怖い。だけど、いろんな歯医者の口コミ情報をネットで検索して、果たして「安心」にたどり着くことなんてあるんだろうか、と思う。(そう思って僕は検索しなかった。結局一番通いやすそうなところにした)


僕らは、「親も友達もみんな通っていて、信頼してる町の歯医者さん」を失って、その代わりに「すごくたくさんのよく知らない歯医者さん」を手に入れた。


たぶん、こんな言い方は歯科医に対してアンフェアだと思う。実際には、歯医者さんの全体的なレベルはものすごく向上してるはずなのに、実感としての安心感は増えていない不思議な感覚と、その流れの皮肉を伝えたくてこんな書き方をした。


「この店の料理はおいしい」「この問題は世の中にとって重要」「この人はイヤな奴だけど無害」「この人は要注意」みたいなことを、共有して確かめ合うような土壌がどんどん失われている。


たぶん、嘆いてもしょうがないことだ。世の中が(大抵の場合はいい方向へ)変わっていく時に生じたちょっとした副作用のようなもの。流れをふまえて、うまくやっていくしかない。誰もが見るようなテレビ番組があって、子どもたちはみんな「巨人、大鵬、たまご焼き」が好きな時代にあった「一体感」はもう戻ってこないだろうけど、その代わりに誰もが自分の好きなものを見られるほうがほうが幸せじゃないか。たぶん。


僕が感じた言いようのない不安を強調するために、「近所付き合い」「顔見知り」のないことの不安を強調して書いてしまったかもしれない。個人的に興味があるので、同じような話はまた書くと思う。

 

 

(文中で触れた、「親知らずを抜いた時の話」はこちらです↓)

www.savacan3rd.com

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