鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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「自己責任だろ」なんて簡単に言わないでくれよ

僕の勤めるコールセンターでは、苦情や不満の表明、または対応上のミスがあるとそれをデータベースに登録するんですね。「失敗の共有」という意味で。「再発防止策」も合わせて登録する必要があるんですけど、「当該スタッフに基本の再徹底を指導をした」みたいな結論があまりに多くてそれに辟易で。


例えば、個人の不注意や知識不足がミスの原因だとしても、「スタッフ個人の問題」として片付けるのは会社として非効率だと思って。僕が自分のミスを考えるときには、自分のどの部分に問題があったかを理解して、知識を入れ直したり、業務のルーティンを変えたりするんだけど。それは僕の再発防止策で。


会社が考えるべきは、そういう個人のミスが起きにくい仕組みだと思うから、「個人の不注意、怠慢、経験不足が原因なら、それをどう補うか」を再発防止策として策定すべきであって。


で、僕の会社のことはどっちでもいい(どうでもいい)。貧乏にな人、不幸にな人、行き場がない人が世の中にいるとしたら、それを「自己責任」と言うのは、あんまり意味がない。「貧乏になってしまう人を最小化するにはどういう仕組みを作るべきか」に集中したほうがいい。


だから、政治家やリーダー的な人に「自己責任」的なことを言われるとさすがに腹が立つ。「知ってるよ!でもお前が言うなよ」みたいに。

で、実はそのことも僕はどっちでもいい(結局何が言いたいのか)。

「ただの市民、ツイッタラーがなんとなく言う一言」も、「世論を作る一言」という意味では、「社会を構成する人間が社会に対して言ってる」という意味では、政治家の一言と変わらないはず、と思う。


つまり、誰か他人を「自己責任だろ」と責める時に、その人と向き合って議論するつもりがあるならそれは個人対個人の意見交換だけど、多くの場合は「○○については自己責任だから本人が文句を言うのはうるさい」という空気に一票を投じてる場合が多い。「社会の仕組みは変えなくていい」と、(自覚しているかはともかく)社会の立場から個人を責めていないか。


僕が貧乏でいるのは、僕の自己責任だ。そんなことはわかってる。でもそれを、社会のルールを決める立場にいる人から「お前の責任」とは言われたくない。どうしたら貧乏人を減らせるか。貧乏があったとしても、少しでも不公平感を減らせるか。最低限の安心を保障できるか。そこを社会としては考えようよ、という話。(僕はどちらかといえば貧乏ではないんだけど)

 

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