ツイッターで僕が無鉄砲につぶやいたことを、時々振り返って反省するコーナーです!(「最近」と言っても、取り上げているツイートは結構前のものです。2カ月ぐらい前に取ったメモを振り返って反芻する、なんとも悠長なことをしています)
今回はこんな感じ・・・
村上春樹、読み直してる
昨日久しぶりに村上春樹の短編読んで。食うに困ってる貧乏人あんまり出てこないな、と思って。「何とか暮らしていけるだけの収入はあるし、退屈な仕事にも不満はなかった」的なこと言いやがって! どいつもこいつも! パスタ茹でやがって! とか腹が立ってきて、また全部読みたくなった。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年3月9日
村上春樹の文章は異次元の読みやすさで、そのせいで「ミーハーでも読めるもの」みたいな評価にもつながったりもする。「読みやすすぎて、まるで中身がないみたいだ」というような。でも、「難解だから中身がある」っていうのは、もはや「気のせいでしょ」というだけのこと。
なんで今突然村上春樹を擁護したくなったのかは自分でもよくわからない。この日以来、すこしずつ読み直してる。
高価なものじゃなくて、スペシャルなもの
息子5歳(ホットプレートが食卓に出ているのを見て)「え? 今日ごちそうなの?」
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年3月12日
僕「ごちそうっていうか、お好み焼きだよ」
息子「お好み焼きってことはごちそうでしょ」
テンションあがる僕「だよね!」
息子の「ごちそう」って言葉の使い方が、「なんかテンションあがるもの」っていう意味なのが好きでメモした。でも、「チキンラーメン」を食べると子どもはテンションあがるけど、それは多分「ごちそう」とは言わない気がする。
ホットプレートを出してきて、お好み焼きを作るのは、「ごちそう」に入るらしい。これには僕も賛成。きんぴらごぼうも、もやしのナムルだって、「ごちそう」ってことにしたっていい。
でも難しいのは、そう言って安易に「これ、ごちそうだね!」と乱発していると、「ごちそう」という言葉自体が今度は輝きを失っていく、というところ。なかなかに難しい。やっぱり、邪心を抱かずに素直な気持ちで「ごちそう認定」をしていくのがいいのかもしれない。
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「社長の名前は?」
#コールセンターあるある
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年3月14日
「社長の名前は?」と聞いてくるクレーマーが昔はよくいて、即答できないオペレーターを「自分の会社の社長も知らんのか?」と責め立てる。業務上社長の名前など関係ないから、100%ただのいじめ。「確認します」と3分ぐらい保留にしてやればいい。(でも最近あまりいない)
クレームの電話をしてくるのが慣れてる人がいて、オペレーターが困るようなことを言うのがやたらに得意。「あなた自身、こんなことされたらどう思う?」とか、「担当からの説明じゃなくて、あなたが調べてきて答えなさい」とか。「社長の名前は?」というのもよくあるパターンだった。
僕は以前、自分の会社の社長の名前を即答できるように準備していたけど、いつからかそれをやめた。ただのオペレーターいじめなんだから、答えられなくても悔しがることはない、と考え直したからだ。(もちろん、「社長の名前は関係ないですよね?」とかの反論は話を長引かせてしまうので避ける)「すみません、調べます」というように反論はせず、でもオドオドすることもなく対応すればいいや、と思うようになった。もちろん、「社長の名前も知らないの? そんなんで大丈夫なの?」などと挑発されるかもしれない。それも「失礼しました。おっしゃるとおりです」みたいに言って、相手にしなければいい。
とはいえ、「いじめに対して毅然と対応すること」はそんなに簡単ではないので、つい卑屈にヘラヘラしてしまったり、「ひょっとしたら自分が悪いのかも」と卑屈になってしまったりすることもある。だから、こうやって時々思い出す。対応策をあらかじめ決めておけば、焦ってしまう可能性を減らせる。
(実際には「ザ・クレーマー」みたいな人はそれほどいないです。「オペレーターを見下して尊大に話す人」はまあまあいて、そういった人は「自分は普通」と思ってるから、そっちの方が厄介だと思っています)
娘7歳、クソ鬼コーチになる
息子5歳の「スーパーマリオ・オデッセイ」を見ていた娘7歳が「前!右!あーもう違うよ、全然ダメ!」とクソ鬼コーチぶりを発揮していたのに我慢できなくなり、「教え方が悪い! 全然ダメ!」と怒ってしまい反省しました。その後謝って、「教えるのって難しいよね」と共感し合えてよかった(^O^)
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年3月18日
「スーパーマリオ・オデッセイ」をやっていて、パワームーン(「ステージの各所に隠されている宝物」のようなもの。これを一定数取ると次のステージに行けるようになる)の場所を娘が息子に教えようとしてるんだけど、これが案外難しい。
敵が来た時に「ジャンプして」と言っても、それが伝わる頃にはもうマリオが敵に当たってダメージを受けていたり、「右」「左」も画面の左右なのか、マリオから見ての左右なのか。「前」は画面の手前なのか、マリオの進行方向なのか。行く方向を間違えてとっさに「そっちじゃない」と言っても、どこまで戻ったらいいのか。
息子の方はうまくいかないから、「だって言われたとおりにやろうとしたのに」とベソをかき出すし、娘の方は弟が言われたことをすぐにできなくてヤキモキしてる。
つまり2人は、テレビゲームをやりながら、「教え方」「教わり方」の練習もしている。そのこと自体はすごくいいんだけど、それが難しくて、娘の「教え方」のあまりの下手クソさに、今度は僕がヤキモキし始める、という風景。結局は僕もうまくできないことを責めるだけのダメコーチになってしまった。後で謝ったら、「だって教えるのって難しいんだよ」と。とりあえずそのことだけでも分かったようで、その点はよかった。
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褒められないことに慣れろ
40歳超えて思うこと。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年3月23日
「誰かに褒められるかどうか」で幸せを決めるよりも、
「誰にも褒められなかったとしても、それでもやりたいことが1つあればいい」と思ったほうが幸せ。
モチベーションの維持を、外部的な要因にばかり依存すると、結局は自分の首を絞めることになる。褒められたり叱られたりしないと動けないのは困るし、褒められたくてやりたくもないことや必要以上のことをしてしまうのも幸せとは言い難い。
とはいえ、褒められればヤル気が出るのは当たり前だし、同じ仕事をしてもちょっとしたプレゼンの違いで褒めらたりスルーされたりが変わってくるんだから、他人の目線を持って自分の能力や成果物をプレゼンできるかどうかは重要だ。もらえるギャラだって変わってくるんだろうから、「自分としては仕事の内容に納得している」だけ終わらせるのもちょっと雑な気がする。
でも、とはいえ。だからこそ。
「褒められなくてもやりたいこと」がもしあるんなら、それは幸せなことだ、と思う。「誰も見ていなかったとしてもやりたいこと」は、誰にも邪魔されずに続けられること、かもしれない。
(2カ月前のツイートを振り返って、たしかにそう思うんだけど、どんな時にこのツイートの内容を思ったのか、どうしても思い出せない・・・ きっと、「僕はこのことをこれからもやっていこう」と思った「何か」があったはずなんだけど・・・ 気のせいだったのかな?)
その他のツイート
「メモを取る」みたいなつもりでツイートしていることが多いので、自分的に覚えておいてもいいかも、ということを貼りつけておきます。
【言い換え表現】
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年3月18日
ヘタすぎて読めない字→達筆
引っ込み思案→慎重
騙されやすい→信じやすい
音痴→自由
絵がヘタ→自由
クレーマー→要望の伝え方が不器用な人
バカ→優しすぎて最初に出会った情報に過剰に感情移入しやすい人
息子5歳がやってるポケモンを見て。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年3月18日
主人公の男の子がヤバいおばさんみたいなのにあとをつけられてると思ったら、連れて歩いてるポケモンだった。
娘7歳「あー、幼稚園のときからやり直したい。年長のとき適当すぎたんだよねー。でもさー、人生って、やり直せないんだよねー」
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年3月19日
(自分で)クレームの電話を受けたり、店員や駅員に文句を言ってる誰かを見たりする度に、「ツイッターやってろよ」って思う。なので、ツイッターで多少の悪態を見ても、とりあえずスルーしようと決めてる。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年3月29日
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(前回の「最近気づいたこと」はこちら↓)