多分どこの職場でもあることだと思うんだけど、「お客との対応で生じた仕事を、関連部署に依頼する」という時。「〇〇お願いします」と連絡すると、まあまあな確率で偉そうに対応される。面倒そうに「了解です」と言われたりとか。「いや、立場上僕が頼んだ形ですけど、お互い仕事でしょ?」とか思う。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年2月17日
コールセンターで働いていて、電話をかけてくるお客の横柄な態度にウンザリすることはよくある話。でも、実は「社内の他部署の人」と話す時にも油断してはいけない。
単純に、お客から問い合わせが(会社共通の受付である)コールセンターに入って、「担当者から折り返し電話連絡をする」というタスクが発生したとする。その担当者に連絡して、「@@の件で%%様から連絡ありました。携帯000-0000-0000へ折り返しお願いします」と伝えるんだけど、その時の「担当者」が偉そうなことがクソほど多い。
(多いと言っても、実際は10%ぐらいかな? 僕は10%でも「クソほど多い」と感じるけど、その辺は個人差あるかもしれませんね)
社内用の電話番号でかかってきた時点で面倒そうに電話に出て、面倒そうにこちらの話を聞く。「はぁい」「了解でーす」と面倒そうに返事をして電話を切られる。
形式上、「僕」が「担当者」に仕事を依頼する立場になってるから僕は「お願いします」と言っているけど、それは仕事の分担上の話であって、あなたが威張る理由にはならないでしょ、とその度に思う。
翻訳の仕事を引き受けた時にも、チェッカー(校正係)に対して「偉そうだな」という印象を受けることが時々ある。
実際、新人よりは経験豊富な人がチェッカーを務めることが多いから仕方のないことなのかもしれないけど、「偉そうな態度を取る理由」はよくわからない。「原稿を作る」「それを校正する」という役割分担があるだけで、どちらが偉いとかの意識は仕事の邪魔でしかない。
もっと話を広げれば、「指示をする側」「指示を受ける側」だって、「単なる役割分担」と考えてもいいではないか。業務を片付ける上で、「働きバチ」と「その管理者」を分けた方が上手くいくだけの話であって、「管理者」が偉いかどうか、人格的、能力的に優れているかどうかは別の問題でしょ、と思う。
もちろん、人格的・能力的に優れた人を管理者に配置したほうが集団がうまくいくし、その指示を尊重しなければ管理者にした意味がない。それに、管理者の立場になったことで、能力的にも人格的にも伸びた人だって現実には多いだろう。でも、だからといって、「管理者」だから、という理由で威張る必要はない。
さらに、「仕事を教える側」「仕事を教わる側」も「単なる役割分担」だと思って、「上下関係」とは切り離していい、と僕は思ってる。この考えは少数派かもしれないけど、「イケてる会社」とか「イケてる集団」とかはきっとそうなってるんじゃないか(残念ながら僕はそんな組織にいたことはないんだけど)。
なにせ、「何を教える」というのは完美な快感である。その気持ちのよさに、いい気にならない人はめったにいない。要するに、「教える立場」の人はだいたい威張る。その「威張ること」を許容すると、ロクなことにならない。「教える側」は、いつまでも教える立場を守ろうとして、「教わる側の成長」を無意識に妨げることだって十分にあり得る。
だから、僕は「上下関係」は必要最低限に制限した方がいいと思う。例えば、「新人研修」をやるなら、講師は新人の中から交代で選べばいい。先輩が、その講師の補佐をする。そうすれば、「講師」は単に役割であることがはっきりして、余計な権力構造が生まれにくくなる。
何かの「認可」も多分同じ。「認める人」を固定すると、そこに既得権が生まれてしまう。「仕組み」を洗練させて、その業務に従事する人はできるだけ交代にする、というような工夫はできないか。
みたいなことを考えました。社内の連携でちょっと面倒な態度を取られただけでネチネチと話を広げるんだから、我ながらめんどくさい奴だな、と思います。
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