ツイッターで僕が無鉄砲につぶやいたことを、時々振り返って反省するコーナーです!(ほぼ2ヵ月以上前のツイートを再び取り上げて吟味してるのですから、「よっぽど自分のこと好きなんですね」と言われてもまったく反論できません・・・)
今回はこんな感じ・・・
最近の若い奴は、みたいな話
僕は職場で後輩にタメ口で話されるのは苦手で、「あれ? 僕って年功序列、体育会系、人間だったのか?」と狼狽したけど、よくよく考えたら年下に対して敬語(ですます)で話すのは全然抵抗がないことを思い出して安心した。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年2月12日
コントや漫才とかでよく出てきそうな、人をムカつかせる後輩キャラで、「先輩が何かを説明しようとすると、かぶせ気味に「ですよね」って言ってくる奴」がいる。
本当にそんな奴いるか? と思ってたけど、実際にいた! 新人で入ってきて、何かを指摘しようとすると「ですよね」と言って話を遮ってくる(そして、案の定僕はムカついている)。
「話を遮るのは失礼だし、心を閉ざして人のことバカにしてるくせして”ですよね”って低姿勢を装うのも卑怯」と言いたい。
でも実際にはそんなことは言わない。言わない理由はたくさんあるんだけど、一番大きな理由は「ムカついてるから」。本当に言おうとするとかなりハイレベルな伝え方になるはずで、ムカついてる精神状態で言おうとしてもロクなことにならない。
仕事に慣れてないから先輩とのやり取りに緊張したり、過剰防衛的な態度を取るのはしょうがないし、僕がもう少し信頼してもらえれば、話を遮って「ですよね」と言われる回数も減っていくだろう。人の性格や態度を直すのは無理でも、許容範囲に調整することなら、それほど難しくはない。
けれども、「その態度何なんだよ」と説教しないのは、それが非効率だからであって、その態度を許容しているからではない。あの態度には心底ムカついている。「ですよね」っていうのは、言い訳、拒絶の始まりなわけで、人の話の一言目が済んでないうちから言い訳を始めるのは、ある種の職務放棄だろう、とは思ってる。
(冒頭のタメ口、敬語、のツイートとは話がずれましたけどこのままにします)
環境問題のこと
今、環境問題のドキュメンタリーの翻訳をしています。情報の正確さが重要なので、慎重に裏取りをしながらの翻訳です。それで思うのは、「情報の真偽を確認するの、めんどくさ!」という正直な感想。仕事だから調べるけど、普段なら問題の本質を考える段階よりはるか手前で思考停止してるよな、と。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年2月12日
今更ですが。「sustainability=持続可能性」って言葉、すごくない? これ、「人類を存続させるのは基本的に無理ゲー」っていう前提の言葉ですよね。「持続可能なエネルギー(=sustainable energy)」とか言うとなんかさわやかっぽいから、むしろそれ以外のをdeath energyとか呼んだ方がよくない?
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年3月6日
「公正な取引で生産されたもの」に「よくできました」的に「フェアトレード」とラベルを貼るより、そうじゃないものに、「子どもに奴隷労働をさせて作ったコーヒーです。どうぞお召し上がりください」ってラベルを貼るべきでしょ。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年3月7日
2月ぐらいに引き受けた翻訳の仕事をきっかけにして、姉妹ブログを立ち上げた(環境問題スクラップ帳)。
いろんな記事に目を通して思うのは、「気候変動」「生物多様性」ってやっぱりテーマが大きすぎて、理解するのが困難、みたいなことを思う。
「人間を原因として、標準時より「1000~10000倍」の速度で生物種が絶滅している」というような記事を目にして、「1000から10000まで幅があるのってどういうこと?」と混乱して、もう理解するのが面倒くさくなり始めてしまう。(まだ発見や分類されてない種が地球上にはものすごく多くあって、それをどう評価するかで数字に幅が出てくるんだと思うんですが、違うかもしれません。勉強中です)
人々に危機を訴える、みたいなことを考えると、「10000倍」と大きな数字を選びたくなるけど、それで「なんでいろいろ数字出てくるの? めんどくさ」となってしまうと逆効果な気がする。
僕が今のところ思っているのは、「好奇心」を失わずにものを見ていこう、ということ。「恐怖」や「エモーショナル」はかえって遠回りになりそうな気がするので。
(↓姉妹ブログにコラム書きました。ぜひ読んでみてください)
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面白いバカッターが浮かばずに悲しい
もうちょっと面白いバカッターは思いつかないものか、30分考えたけど浮かばない。「バイト中の若者が、悪ふざけしてそれをアップ」という時点で(衛生的に問題あるものならなおさら)相当ムカつくので、なかなかハードル高い。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年2月12日
赤瀬川原平の「千円札を拡大模写して美術展に出品」という前衛芸術(1960年代)の話を学生時代に読んで、「痛快な悪ふざけ」と憧れたものだけど、オッサンになった今の僕が考えると、「人騒がせだな」と思ってムカついてしまうかもしれない。https://t.co/1zZj3trqxo
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年2月12日
「壊すべき常識」に元気がないと、「芸術」とか「前衛」とかも生き生きとしてこない気がする。「公衆衛生」や「道徳」「職業倫理」が、もはや自明のものじゃなくてヘトヘトに疲れながらなんとか守ってるものなのに、調子に乗って踏みにじられてるんだから、バカッターを見て「痛快!」とは思えない。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年2月12日
この、「最近気づいたこと」というコラムは、「書きながら自分の考えを整理したりほぐしたりする」みたいな、「思考のストレッチ」的な意味が自分としてはあって、2ヵ月も前にツイートしたことを振り返ると、なんだか不思議な気分になる。
多分今までも周期的に、これからも周期的に「バカッター」的なものが流行ったり炎上したりするんだろうけど、2ヵ月前には、複数の「バカッター」が回ってきたのに、今はほとんど見ない。この、潮の満ち引きみたいなメカニズムはなんなんだろう、と。
その時も「面白い悪ふざけ」みたいなものを考えて、今も考えてみたけど、全然浮かばなくてちょっとヘコんでる。
からかうほどの「権威」も特に見当たらずに、誰にでも少しずつある「先輩風吹かしたい病」とか、そういう「細かい」ものだと、逐一ツッコむ丁寧さの方が向いてるから、あんまり「痛快な悪ふざけ」が僕には浮かばない。
ハロウィンの仮装ブームのパロディとしての「地味ハロウィン」とかが、比較的人に迷惑をかけてないっぽいからいいのかな、とも思ったけど、それも正直言って「めんどくせ」という思いが近い。
赤瀬川原平の一連の表現は大学時代憧れた。ツイートでは、オッサンになった今考え直すとムカつくかも、と書いたけど、多分ムカつかないと思う。近いうちに読み直してみよう。
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マンガばかり読んでる
三田紀房「アルキメデスの大戦」読んでる。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年2月14日
途中だから感想とか特にないけど面白い。
「負けず嫌いな天才が、勝ったり負けたりする話、好きだな」とか思った。マンガの何割かは当てはまるので、ほとんどなんにも言ってない。
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僕は、自分の中で負けず嫌いをうまく取り扱えなかったという自覚がある。中学の頃に、将棋がいい勝負の同級生がいて、彼は負けると尋常じゃなく悔しがった。僕はそれがなんとなく怖くて、勝ちを譲ってしまったことが2度ぐらいある。今思えば失礼な話だ。
同じように、自分の中にある「負けず嫌い」にも恐怖心を無意識に抱いていて、まるで「性欲をないものとして日常をすごす」のと同じように、「負けず嫌い」をなるべく刺激しないように気をつけながら過ごしてきた。
だから、なのか。僕は「負けず嫌い」が物語化されると大体好きになる。将棋のプロ棋士とかが好きなのもそうだ(本人たちがどう思ってるかは想像も難しいけど、ファンが棋士の心境とかを想像して楽しむのは「物語」化しているわけであって)。
そんな感じで、「アルキメデスの大戦」も楽しく読んだ。勝負に勝とうと思ったら、どんな負けず嫌いでも自分の負けをしっかりと吟味しないといけない。そんな感じの話はたいてい好き(←やっぱりなんにも言ってない)。
「響~小説家になる方法~」を読んでいる(4巻まできた)。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年2月15日
わざと悪く言えば、「一見内向的っぽい主人公が、悪口と暴力でおのれの真実をかたくなに譲らないことの痛快さ」のワンパターンになりつつあるけど、それでも面白い。多分もうちょっと読む。
マンガ「響~小説家になる方法」を読んでて、今7巻。ずっと「面白い」のか「そうでもない」のか迷ってたんだけど、「面白い」のフォルダに入れることに決めた。「小説家になる方法」というより、「ケンカに勝つ方法」みたいな感じ。面白い。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年2月20日
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上のツイート、読み返すと「あんまり面白いと思ってない」ことが伝わってくる気がする・・・
「つまらない」と思うことより、「面白い」と思うことを発信した方がいい気がして、今までなんとなくそうしてきたけど、なんでなのかイマイチ自分でもよくわかってない。
「〇〇なんてつまらないんだよ」っていったら誰かを怒らせるんじゃないか、と無意味にビビってるだけのような気もするので、今ちょっと考えてみたい。
あ、「響」は、「ちょっとだけ面白い」でお願いします。
その他のツイート
「メモを取る」みたいなつもりでツイートしていることが多いので、自分的に覚えておいてもいいかも、ということを貼りつけておきます。
#無駄な会話
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年2月15日
「やっぱさ、リズム感がない奴が隣にいるとムカつく?」
「なんで?」
「だって、お前リズム感いいじゃん。リズム感悪い奴がいると邪魔じゃないの?」
「いや、隣にリズム感悪い奴がいるぐらいで調子狂うようじゃ、そいつのリズム感なんてダメでしょ」
「やっぱリズム感いい奴は違うな~」
僕は職場で、ポジティブと言われるけど、考え方の傾向はネガティブ。職場で前向きキャラなのは仕事が好きだからじゃなくて、さっさと片付けたいから。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年2月15日
性格を前向きにする必要なんてない。というかそんなの無理だし、前向きな性格を求めたり前提にしたりするのは嫌い。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2019年2月15日
ただ、「同じことをポジティブな言い方に変えてみたら?」的なことを考えるのは好き。「注文が細かい同業者」→「仕事熱心で不器用な人」とか。
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