「幸せだ」「幸せだ」としきりにアピールする人が孤独に弱かったり、「俺って自由な考え方するし」と言うやつに限って偏見がひどかったり、人間はその本質とは逆の表面を持っていたりするものだ。
悲しい時、人は泣くとは限らない。むしろ、涙をこらえようとすることも多いだろう。
だから、「ひょうひょうとした人」に出会った時には、油断せずに「この人は平気なフリをしているだけで、本当はツラいことがあったり、ヤバいぐらいの野望があったりするのかも」ぐらいのことは思ってもいい。
田島列島の「子供はわかってあげない」は、そんなマンガだと思う。
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線の少ない白っぽい画面、「寄り(アップ)」も「引き(ロング)」も多くない、平坦なカメラワーク。大げさな表情のない主人公たち、そして、川柳を棒読みしたような、気が利いた風のセリフの繰り返し。
これらの要素は、全部「平気なフリ」だ。
青春の、恋愛の、スピードへの不安、期待を前にして、少年少女は思わず「平気なフリ」をしてしまう。反射的に無関心を装ってしまう。大人たちも。人生や人間関係への執着に、たじろいで、「平気なフリ」をしてしまう。
だけど、だからこそ、そこに流れる「静けさ」は、本当は「轟音」なんだ。僕らの心臓が脈を打って、血管を血が通っていく時の音みたいに。
そんな、油断ならないマンガ。読者の気持ち無理に誘導しない語り口が心地よくて、素直に甘酸っぱさを味わえた。
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