うちに来るサンタは、子どもたちがお願いしたものは持ってこない。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年12月24日
なんというか、「おねだりしたものをもらえる」よりも、「細かい要求は受け付けないけど、子どもには優しくひいきしてくれる」ほうがいいかな、と思って、3年ぐらい前に妻と相談してそう決めた。
娘が小学校にあがって(今1年生)、結構周りの子と情報交換をするようになった感じがする。「○○ちゃんの家はおこずかい○○円」とか。サンタについても、各家庭で設定が違うことを、そのうち疑問に思ったりするんだろう。
うちのサンタは、子どものおねだりしたものは持ってこないことになってる。2年ぐらい前に、娘が寝る前に「お祈り」(キリスト教の幼稚園だったので、結構ちゃんとお祈りしていた)で「プリキュアのタブレット型のおもちゃ」をお願いしていて、「アーメン」とか言ってたときは超絶かわいくて、次の日には買い占めたくなったけど、「なんか違うな」と思って我慢した。
この「なんか違うな」感というのは、「いい子にしていたからと言って、ほしいプレゼントがもらえるとは限らない」(=ごほうびに関係なく、いい子にすること自体に意味がある、救いがある)ということと、「いい子にしていなくても、プレゼントはもらえる」(=たとえいい子じゃなくても愛されている)みたいな世界の方が、僕にとっては好きなような気がしたから。
ところで、1世代前よりも、「サンタについてのファンタジー」のネタバレはタブー感が強くなってるみたいな言説をよく聞く。
サンタクロースへの子どもの幻想を面白半分でぶち壊すのは確かに悪趣味だし、そんなガサツな人とは友達になりたくないな、とは思う。でも一方で、「それほど大したことかよ」「小5、小6になってサンタからのプレゼントに胸をふくらませる子ども、それってかわいいとは違わないか?」とも思う。
ひょっとしたら、「おかあさん、おとうさん、先生、お店の人」以外の、「近所のなんだか分からないおじさん、おばさん」には、「サンタクロースなんてウソだよ」という役目があって、子どもの幻想をぶっ壊す「無慈悲な世間」の、マイルドな形態だったんじゃないか、とか思った。
僕が子どものときには、マンションの父親たちが交替でサンタのコスプレでプレゼントを配りに来た。雑なテンションと母たちの知り合いっぽさで、「サンタっていうのはそういう設定。すくなくともこの人はニセモノ」と教えてくれた気がする。
子どもを危険にはさらしたくないので、「見知らぬ人との関わり」を作るのはかなり難易度が高いんだけど、「敵意はないんだけど、子どもへの演技が雑な人」が周りにいるのはいいな、とか懐かしがった。
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