鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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小1娘の運動会でちょっと泣いた

娘7歳の小学校入学後始めての運動会の話。もう2ヵ月も経ったことなんだけど、思い出せる範囲で気づいたことをメモしておきたい。


まず、驚いたのは子どもの人数のあまりの少なさ、である。僕は第2次ベビーブーマーの一番下ぐらいの世代で、小学校では35人のクラスで1学年4クラスあった。それに対し、娘ら1年生は1学年80人もいなくて(30人弱が3クラス)、上の学年はほとんどが2クラス。


小学校に通う子どもの人数なんて気にしたことなかったから、今までなんとも思ってこなかったんだけど、入場行進で入ってくる子どもを見ると、その人数の少なさが分かる。反射的に、「少子化ハンパない」と実感する瞬間だった。(地域の小学校の学区割りによって人数は違うだろうから、自分が子どもの頃通っていた小学校と、自分の子どもを通わせている小学校だけを比べて何かを言うのは無意味なんだろうけど)


「人数少ないな」という実感と、それに伴う不安とを感じながら見ているものだから、子どもたちの行進が、元気なくトボトボと歩いているように見えた。僕は、娘のことというより、そこにいる子どもたちみんなの未来が心配になる。


今の時代、保育園、幼稚園の先生も、小学校の先生からもみんな優しくされるだろう。子どもが少なくて、親からも周囲からも、ちやほやされながら育っていくんだろう。しっかり腕を振って、リズムが合うまで厳しく行進を指導するような先生はもういないんだろう。それはいい、僕も行進なんて嫌いだ。でもそうやって、なんとなく優しくされながら育っていって、不条理な社会で生き残っていけるんだろうか?


明るい未来がきっとある、みたいな雰囲気は、僕らが感じていたものよりもはるかにリアリティのないものになっているだろう。「これだけ守っていれば恥ずかしくない」と安心できる常識もない。大人になってから、困ったときに頼れるような友人を持てるんだろうか? 自分に誇りを持てるような何かと出会えるんだろうか?

 

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針金のような細さの長い足で歩く子どもたち。その中に時々、体格の違ういかにも肥満児というような子どもの姿も見える。いずれにせよ、都会っ子らしい子ばかりで、「困難をものともせず根性ではね返していく」ようなオーラはない(ように見える)。そんな風に感じて、子どもたちの将来を勝手に憂いて、申し訳ないような、情けないような気分になった。


でも、そんな僕の気分は、結構簡単に吹き飛んだ。入場行進で整列したあとに、全校で歌った運動会の歌が、ただただ一生懸命で、元気いっぱいだったからだ。きっと、運動会が嫌いな子もいるだろうし、歌うのが嫌いな子もいるだろう。でも、歌が始まってしまえば、なぜか一生懸命に歌ってしまう子どもたちがたくさん目の前にいる。


これほど勇気がもらえることはない。人は、理由なく一生懸命になれるし、そのことは、それだけで勇気なんだ、と思った。それで、ちょっと泣いた。運動会前の予習が不十分で、娘がどの位置に整列するのかよく分からずに写真は撮れなかったけど、この中のどこかにいる娘が歌っている姿を想像した。なにもうまくいかなくても、損も得もなく一生懸命になっていってほしい。


我ながら、雑なセンチメンタリズムである。入場してくる子どもたちの少なさを見て、勝手に「かわいそう」だとか思って、元気な歌声を聞いて、勝手に勇気をもらって感動しているのだから。子どもたちには、そんな親のことはほっといて、自分で生き残る術を身につけていってくれ、と思うよりない。

 

(言い訳をしておくと、「子どもの行事の日」って、普段のルーティーンから離れるから、普段無意識でかけている「感情の起伏へのブレーキ」がちょっと緩んで、油断したような精神状態になるんだと思う)


あとのことは、一日をのんびりと過ごして、あまりよく覚えていない。やたら暖かい日で、午後には少し居眠りしたほどだった。


先生たちには頭が下がる。かけっこでは、ちゃんと順番を競わせていたのが安心した(「順位をつけない運動会」が、僕の主観では「頭でっかちの考えた笑えないコント」のように思えていたので、そうでなくてよかった)。


ちゃんと順番を競わせるために、フライングがあった場合は、スタートをやり直していた。それは面倒なことだけど、正しい指導だと思う。それに、先生がスタートのピストルを鳴らす手順が素晴らしかった。先生は、「①直立して、両足を閉じた姿勢」から始めて、「②ピストルを持った手を伸ばし、片足を前に出す動作」をする。その、足を前に出す動作に合わせて、生徒たちはスタートの姿勢を取るのだ。そして先生は、「③ピストルを持って伸ばした手を曲げていき、肘が90度になったところで撃つ(=スタートの合図になる)」ということをしていた。


①から③の動作を、同じリズムで繰り返していた。一定のリズムで繰り返すことは大変だけど、そうすると子どもたちもスタートが切りやすい。そして、フライングになった場合はやり直す。面倒だけど、ルールを尊重しないことには競技の意味がないことを伝えるにはそうするしかない。


騎馬戦(6年生)も、結構ガチだったので驚いた。一騎討ちと、団体戦の両方がある。先生たちはすぐ近くに複数いて、大ケガをさせないように見守りつつ、それでもできるだけ手を貸さずに練習させてきたことが、本番を見れば分かる。親としても、この姿勢は見習わなくちゃな、と感じた。


こんな風に、結構ポジティブな印象で運動会が終わった。注文した写真が手元に届いたので、思い出して書いてみた。また来年が楽しみだ。

 

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