野生動物の感情は疲れない。生きるだけでギリギリで、目の前のことに集中する瞬間の連続だから。もし飛べなくなったら、と鳥は思わない。もし泳げなくなったら、と魚は思わない。
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年11月25日
でも人間は違う。過去を振り返り、未来を予測してしまう。嫉妬したり、幻滅したり、悪夢を見たりするのはその副作用だ。
人類の最大武器は「言葉」のはずだし、それで、「各瞬間がそこに点としてあるだけ」だった時間を、「流れのあるもの」として再認識することで、森羅万象の法則を記述したり、その法則を使いこなす知恵を伝え合ったりする。
それはいいとして、その「意識」というものの取り扱いに苦労して、ほとんど「持病」のように不安に襲われることには、詠嘆を禁じえない。泳げなくなることが心配な魚。飛べなくなることが不安な鳥。なんともかわいそう。「人間かよ」とツッコむしかできない。
「リラックス」と「集中」は相反するものではなくて、コインの裏表のようなもの。「余計な力の入っていない状態(=リラックス)」が一番集中力を呼ぶし、「何かに集中している状態」は、一番心穏やかに世界を感じ取れていたりする。
僕は、車の運転が好きだった。常に、一定以上の注意を周囲に散らし続けなくてはいけない状態だと、余計なことを考えずに済む。あるいは麻雀。相手3人の手を完全に読むことはできないけど、集中して打っていると、「配牌の状態から何手ぐらい進んだか」ぐらいはなんとなく感じ取れたりする。それが楽しかった。麻雀を打ってる間は、不安から自由になれた。(ドライブも麻雀も、今の自分にとっては贅沢すぎてなかなかできないけど)
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「優先順位の混乱と依存症」みたいなことを続けて考えたので、合わせて書き留めておきたい。
今日の僕
— 鯖缶 (@savacanmemo) 2018年11月27日
「少しやりたいこと」が2つ
「やらなきゃいけないけど、今日じゃなくてもいいこと」が3つ
「食べたいけど、食べたら太るもの」がたくさん
それでなんか、軽くパニック(°▽°)
どれから手をつけたらいいか分からない時、「とりあえず、メシ食っとけ」ってしてたから太ったんだな、と。
サボり続けてた人間ドックの予約を、先日ようやくした。毎年会社が予約する健康診断ではなくて、今年は人間ドックを受診してみようと決めたのが5月。ブログのネタになるかも、という貧乏性でそう決めただけなんだけど、僕の誤算は自分のものぐさを過小評価していたことだった。
健康診断とは違って、人間ドックは「会社の健保組合指定の病院を確認する」→「自分で病院に電話して予約する」→「会社にそれを申告して料金の補助を申請する」と、手続きが少し多い。僕は、それをサボり続けた。「やってみれば20分で終わることなんだけど、やったことないから気が重くて、まったく手がつけられないこと」の、「手のつけられなさ」というアメ玉を時々舐めては、また大事にしまい込むようにして、予約するのに半年かかった。
そうしたら、大変なことになっていた。僕は、毎年健康診断の前だけダイエットして、70キロの体重を65キロまで落とすようにしている(で、気づくと70キロに戻ってる)。でも今年は違った。人間ドックの予約が済んで、体重計に乗ってみたら、75キロあったのだ。
それを知った直後は、何の問題もないと錯覚した。「毎年5キロぐらい減量してる」+「僕のいつもの体重は70キロ」=「75キロは想定内」だと。でもこの計算式は間違いである。「本来なら65キロが適正体重」=「75キロは10キロオーバー」という式(式?)だけが正しい。
で、ダイエットを開始したという状況で、引用した僕自身のツイートの話。
「やりたいこと」がNFLのネット観戦と、読みかけのマンガの続きだったんだけど、その両方が「一応チェックしたいけど、絶対というほどでもない試合と作品」だったので、「NFL観戦をしながらマンガ」という僕の中での「必殺コンボ」を、やろうかどうか迷ったのが最初。普段なら迷わないはずのことを、迷ってしまった。
それに、「済ませるべきタスク」がどれも「急ぎ」ではなかった。「人間ドックの書類が送られてきたので目を通す」「子どものクリスマス用に、ニンテンドースイッチを買う」「古本をブックオフに売りに行く」という3つ。それぞれ、至急性が自分のなかで整理されていなかった。
「書類」は、「必ず目を通してください」って封筒に書いてあるけど、どうせそれほどのものじゃない。でも、「必ず」と言われると不安と言えば不安。「ニンテンドースイッチ」は、「ボヤボヤしてるうちにクリスマス前に売り切れたりすると困るけど、たぶんそんなことない」。「古本」は、妻から捨てろと言われて、「本を捨てるなんてバチが当たる。せめて誰かの手に渡ってほしい。でも本音を言うとちょっと手放したくない…」と、それぞれに「迷い」が含まれたタスクだった。
さて、これに「ブログ書こうかな」という迷いが本当は加わる。ブログを書くことは、基本的には楽しいからやってることだけど、面倒といえば面倒。そして、その優先順位が自分のなかでまったくというほど整理されていないことだったりする。この日も、ブログ書こうかな、と一瞬思って、「時間があるなら書きたいな」と、「面倒だな」が同時に襲ってきた。
それで、何から手をつけたものか、一瞬分からなくなったのだ。「とりあえずコンビニ行って、プリンとチキン買って、チキン食べながら帰ってきて、Youtube見ながらプリン食べるか」とか思って、あ、ダイエット中だった、うわー、という詠嘆をツイートしたものである。
ここまで、僕は自分が陥った軽い混乱について書いてきて、気づいたのは「野生動物の感情は疲れない」という先のツイートと、言ってる中身は一緒だったのか、という気づきである。野生動物は、優先順位に迷うことはないだろう。「メシ、メシ、危険回避、メシ、逃げる、メシ、休息、メシ、子作り、メシ…」とか、その時にできることを懸命にやるしかない。でも、人間には迷う余裕がある。
この時の僕も、比較的「自分の時間」が確保できる曜日で、「会社もなく主夫タスクも終わって、さてどうするか」という状況だった。そこで生まれた、「優先順位のつけられなさ」というストレス。なんとも贅沢な話だけど、そんなものだから仕方がない。
「こんな時、昔だったらタバコ吸ってたな」とも思った。「タバコを吸ってる間は、休憩時間」という自己暗示があって、ちょっとリラックスするのに便利だった。そう思い出すと「優先順位の混乱」と「依存症」には、ものすごい親和性があるな、という気がする。
タバコはやめたけど、最近は気づけばお菓子を食べてた気がする。それでなければ、スマホだ。ツイッターをダラダラ眺めたり、将棋ウォーズの「3分切れ負け」をやったり。
ふと思うのは、「タバコ」というのは依存症の中では、ひょっとしたら結構マシなんじゃないかな、ということ。「依存症のヤバさランキング」があったとして、(「健康」とか「迷惑」を考慮せずに、「自分の精神への影響」だけを考えたら)タバコは相当マイルドな依存症なんじゃないか、と。
それよりも、SNS中毒とかの方がヤバい感じがする。「いいね」の数に自己肯定を依存していく感じが、「優先順位の混乱」をさらに招いて、その不安からますますSNSにハマってしまう、というような怖さ(面白いものだからこそ怖い、ということ)。ゲームにも、ギャンブルにも同じ怖さを感じる。
「何から手をつけたらいいか分からない」という混乱からは、たぶん人間は完全に自由にはならないと思う。でも、深呼吸してちょっと俯瞰してみれば、それほど大した問題ではない。それは分かってる。「深呼吸してちょっと俯瞰」が、案外難しいのだ。
僕は、ブログを書くことで「深呼吸してちょっと俯瞰」ができたらいいな、と思っている。時々はできる。でも、ブログを書くことが面倒になったり、不安の材料になったりするのも事実だから、面倒な話だと思う。「もし飛べなくなったら」と不安になる鳥。ドストエフスキーやチェーホフがいてくれてよかった。
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