鯖缶@3rd&forever

2児(娘7歳、息子5歳)の父の雑記ブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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今週気づいたこと(2018年7月⑤)

自分が無鉄砲につぶやいたことを、週に1回反省するコーナーです!
<先週の記事はこちら>

 

今週はこんな感じ・・・

 

 

褒めるのは得意

 

僕は、人を褒めることにはちょっと自信があります。家庭ではいつもうまくいってるとは限らないけど、職場ではだいたい「褒め言葉」を乱発してます。

 

(職場は、「帰る時間まで頑張ればいい」と思えるから、批判的な視線や言葉を飲み込めるので・・・ 育児や家族関係は、24時間休みなく続くものなので、時々はうまくいかないこともあります)

 

「褒め上手」のポイントは、「具体的に」「タイミングよく」だと思います。僕の想像では、褒めるのが苦手な人は、「ちょっと気の利いたことを、気の利いたタイミングで」言おうとして、「それがうまくいかないと褒めるのをやめてしまう」からなのかな、となんとなく想像します。

 

でも実際には、そんな「気の利いた(気合いの入った)褒め言葉」は、あまり必要ないかも? むしろ、やや説教臭くなってしまうかもしれないので、あまり気合いを入れないほうがうまくいく気がします。

 

どちらかというと、「こまめに」のほうが簡単だし、重要に思います。例えば、自動車教習所で、路上講習の時。助手席に座った教官の人が、ブレーキやハンドル操作にいちいち「うん」と肯定的な合図を出してくれたら、それだけで「褒められてる」のと変わらない。止まったら、「今のでOKです」で、褒め言葉としては十分。

 

職場で僕がよく言う言葉で、結構どんな職種でも使えそうなものを紹介します。

 

(質問しに来た後輩に)「このタイミングで聞きに来てもらえたのは大変助かります」

 (書類をチェックしたあとで)「修正不要だと確認できました」

 

部下を管理する立場の人は、上司からチェックしにいったり、部下に求められていないのにアドバイスをしたりするのはちょっと大変。しかも萎縮されたり、嫌われたりしたら割に合わない。だから、「質問しに来たこと」自体を褒める。上司のチェックを受ける工程を一つ終わらせたこと自体を確認する。それだけでかなり楽になると思います。

 

そんなことを思い出しました。息子は僕を褒めてくれることが多いので、僕も褒め返していこう、と思ってます!

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映画「クレイマー、クレイマー」

 

「クレイマー、クレイマー」は、かつて地上波の「洋画劇場」で年に1回ぐらいやってて、子どもの頃何度か見た記憶があります。

 

クレイマーは、苦情を言う「クレーマー」とはまったく関係がなくて、原題が「Kramer vs. Kramer」。(養育権を争う離婚裁判での)「クレイマー氏対クレイマー夫人」ということのようです。

 

ヒューマンドラマとして、名作なのは間違いないにせよ、子どもの頃の僕としては大して面白くもなく、母がテレビで見始めると途中で寝ていたような記憶があります。

 

不思議なのは、面白いとも思っていなかった「クレイマー、クレイマー」をなんとなく覚えていたこと。そして、それを見直そうと思ったこと。

 

内容もよく覚えていないまま見直して、僕は泣きました。主人公(ダスティン・ホフマン)が、子育てに奮闘する話だったからです。

 

見直した当時の僕は、妻が週3日のバイトを始めて、妻の勤務日は「子ども2人を寝かしつけるまで面倒を見る」という生活が始まったばかりでした。

 

映画を見終わってから、「とは言え、ダスティン・ホフマン(演じるテッド・クレイマー)、あんたは、CMプランナーかなんかだろうが! 金に余裕あるだろうが!」「あんたが世話したのは、まあまあ大きい子ども1人、こっちは2歳と4歳の2人だよ。こっとのほうが大変だよ!」みたいに、「自分の境遇の方が大変」というようなことを考えて、自らを甘やかしたな。それも含めて懐かしいです。

 

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タトゥー

 

もしも子どもが、タトゥーを入れたいと言ってきたら、どうしよう。

 

たぶん、どうもしなくてもいいのかも知れないけど、なんとなく想像して覚悟しておかないと、と思ってます。

 

僕の考えとしては、親は子どもに、「やめなさい」と言っていいと思う。「門限どおりに帰ってきなさい」「この会社に就職しなさい(この会社はやめなさい)」「結婚しなさい(結婚はやめなさい)」とか、思ったとおりのことを伝えるべきだと思う。

 

でも、その前提には、「そういったことは全部自分で決めること」ということを子どもと親が理解して共有できているかどうかが重要になってくる気がします。

 

子どもにずっと目を配ってることが不可能である以上、「自分で判断できるように、判断力を養いやすい環境に子どもを置くこと」が親のできる精いっぱい、というか。

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「どうでもいい」と繰り返し思い出すこと

 

以前も似たようなことは書いた気がするし、まだ全然考えがまとまっていないことなんですが、引き続き考えていきたいこと。

 

例えば、「日本が好き」「日本が好きという気持ちが大事」「日本が好きだという気持ちを表明することが気持ちいい」というのは、それぞれ別の問題のはずなのに、しばしば同じ地平で語られてしまう気がします。

 

僕は、「日本が好き」ですが、その気持ちは「静かで落ち着いた気持ちで過ごしたいと願う」という気持ちに比べれば、はるかにどうでもいいこと。「日本が大事ということを表明して、それに連帯を求めること」ともなると、「この世の中で一番嫌いなこと」と言ってもいいぐらい。

 

それぞれは別の話なんだと、思い出すごとに書き残していきたいです。

 

「仕事は楽しいかどうか」「この会社で働くことは楽しいかどうか」「会社の同僚が好きかどうか」「それを会社の他の人にも常識として求められるかどうか」「会社が好きだからといって残業するかどうか」「給料を妥当と思うかどうか」「給料に不満があっても一生懸命働くかどうか」これも多分、全部別の問題。

 

何かの議論を成立させるには、議論のフェーズ、次元を一致させることが必要なはずなんだけど、しばしばその手続きが省略されることがあって、そうすると「声のデカい人が勝ち」になったりする場面にしばしば出会います。

 

それはある程度は仕方のないことなのかも知れないけど、「声のデカい人」というのは、「自分の考えが正しいと無条件に信じられるバカ」かもしれないので、そこは面倒だけど丁寧に「議論を成立させる作業」をしていくしかないんだろうな、となんとなく思っているところです。

 

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今日は以上にします。あと、「自分的に、覚えておいてもいいかも」と思ったツイートを貼り付けておきます。来週も、お楽しみに!

 

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