以前、ツイッターでよく流れてきた話題で、「算数のテストの解答で、半角で書くべきところを全角で書いたら不正解扱いになった。算数の思考の方が大事なのに、その対応どうなの?」というのがある。
2桁以上の数字を答える場合は半角で書かなければ、不正解にされる。これで数学できるようになるのかなぁ? pic.twitter.com/4mbbQbfeVp
— 高木 孝文 (@ttakabumi) 2018年7月3日
「3桁の数字を書くときは半角で」という書き方を指導しており、それに反する書き方をしていた宿題ノートで、「✖」がついていた。そんな指導で、数学的思考を身につけられるの?という。
ちょっと興味があったので、自分の考えをまとめておきたい。
(スポンサーリンク)
僕の考えはだいたいこんな感じ
数学のテスト、「正解なのに、半角の指定を全角で書いたから不正解扱いってどうなの?」って話のオレ内会議。
— 鯖缶メモ (@savacanmemo) 2018年7月5日
頭カタすぎ。それじゃ子どものやる気なくなるよ! 30%
「テストを受ける練習」としては妥当? 20%
「計算は正解ならいいや」と思える強い子になって欲しい 15%
どうでもいい 35%
頭カタすぎ!
件のツイートを見たとき、多数派のリアクションは「これ、ヤバくない?」というものが多かったと思う。僕も、最初はそう思った。
普段の生活で、「ルールを振りかざしてくる人」にちょっとうんざりしてるからだと思う。道を歩いていても、やたらと「こっちが優先!」という態度を表に出す人や、職場(コールセンター)でも「重箱の隅をつついたような細かい指摘のクレーム」を受けて、それだけなら我慢できるけど、それに対応するための細かいルールができる。ルールに反していないか、上司からチェックされてウンザリ、というような。
僕を含め、そんなことでストレスをためている大人にとって、全角が「✖」になっている画像は、結構衝撃が大きかったのではないか。少なくとも、「〇」をつけた上で一言書き添える、でもよかったかな、とは思う。
(スポンサーリンク)
「テストを受ける練習」
その一方で、「テストってそんなもの」とも思う。僕自身、翻訳の仕事を受注するためのテストで、提出したファイル名が指定と違って減点された苦い経験がある(「半角」や「全角」に類するようなミスで、翻訳の実力とはほぼ無関係なミスである)。
もちろん、この場合は「仕事をする能力があるかを確認するテスト」なので、「指示どおりのものを提出できるかどうか」も採点基準にあることには、「大人」としては文句はない。
どういうことか。ファイル名を指示どおりにすること、って実はすごく重要で、複数の人間から原稿を受け取るときに、「ナンバリング+名前」の順番にファイル名がなっていればフォルダ内で整然と並ぶが、「名前+ナンバリング」で提出してくる人が一部いると、受け取った側で名前を直さないと、狙ったとおりにファイルの順番が並ばなかったりする。
同じようなことはいくらでもある。全角と半角が違えば、パスワードは通らなくなるし、マークシートの塗り方がヘタだと自動的に「不正解」になる。「ちゃんと答えはわかってたのに!」と言っても無意味で、「答えが分かっていたことを、指定されたフォーマットどおりに示してください」というのは、好むと好まざるにかかわらず受け入れざるを得ないところだ。
だから、「どんなにバカらしくても、特定の場面ではルールに従う必要がある」ということは、知っておいても損はないかな、と思う。
実力とテスト結果は別のもの
我が子がもし宿題ノートで「✖」をもらってきたら、という場面を想像いてみた。「あんまりそのことに大げさにヘコんだりしないでほしいな」と思った。
「ふーん、そっか」「でも、まいっか」みたいに感じるぐらいなら頼もしいな、と。
「実力をつけること」と「実力を示すこと」、そして「実力を認めてもらうこと」。それぞれが重要だけど、やっぱり一番重要なのは「実力をつけること」なんじゃないか。ちゃんと自分の計算が合ってることに自信があるんなら、それでいいじゃないか。次回から半角で書けばいい。
僕が自分のツイートであえて「どうでもいい」と書いたのは、そんなような願いがあってのことだったと思う。
しっかり数学的に考えれば、「テストや宿題の〇✖」と「数学の能力」はそもそも別のもの、と理解できるはず。そんなにムキにならずに対応できる子どもになれば、ちょっとやそっとのことでヤル気をなくしたりしないはず。そうなってくれるといいな。
(スポンサーリンク)