鯖缶@3rd&forever

2児の父の雑記ブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターネタ(クレーム対応)などが中心です。

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ツイッターを始めた僕が、1ヵ月の間に感じたこと

ツイッターを始めたのが1ヵ月前、というと実は少し語弊があって、実際には結構昔から、NFL(アメフト)の情報を仕入れたりして、「気楽にできる英語の勉強」みたいな感じで使っていた。
でも、1ヵ月ぐらい前から、アカウントを作り直して、自分でもツイートしてみるようになった。そして1ヵ月。だいたい以下のようなことを感じた。思い出しながらまとめておきたい。

 

 

①中毒性ハンパない

僕はもう10年ぐらいタバコを吸ってないけど、ツイッターって、タバコとよく似ている。通勤電車内とか、電車と待つ時とか。会社の休憩時間とか、昼メシ注文してから待つ間とか。短い細切れ時間に、ついつい見てしまう。その間は、情報量に頭が麻痺する感覚があって、なんとなくリラックスできる気がする。すると、いつのまにか、ツイッターを見ると自動的にリラックスできるんじゃないかと頭が錯覚して、家でPC作業とかしてる時にも、「あとちょっと進んだらツイッター見てOK」みたいに、「禁断症状を我慢してる状態」みたいな気がしてくる。
自分でツイートを発信するようになって、ツイッターは間違いなくより面白く感じて、「ツイッターの面白さを知らないなんて人生損してる」とすら半分ぐらい本気で思う。

 

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②誰でも対等なのがすごい

例えば、年齢とか、社会的な地位とか、ツイッターの中ではあまり意味なくて、「パソコン通信の初期に、愛好家たちが感じた興奮」みたいなことって、この感じと似てるのかな、と想像したりした。

有名人のほうがフォロアーも集めやすいとか、「ずっと続けてる古参の人」の発言はある程度尊重される、とか、そういうこと多少の既得権はあるかも知れない。でも基本的には、面白い内容のことを発信すれば、誰が発信してようがあんまり関係ない。この感覚には、大げさに言えば僕は「救われる思い」がした。

例えば、この「はてなブログ」という場だって同じなのかも知れない(有名人でなくても、面白い記事とか役に立つ記事は注目されることがある)けど、ツイッターのほうが、「対等さ」をはるかに実感しやすいということ。

僕が公園でちょっと面白い光景を見て、ちょっとしたツッコミとともに紹介したら、瞬く間に拡散されて驚いた。ツイッター上級者にとっては当たり前のことなのかも知れないけど、僕にとっては「のべ2500人がタイムライン上で目にした」というのは十分に興奮するに足る数字で、恥ずかしい話だけどちょっと気をよくした。

中学から高校にかけて、引っ込み思案でクラス内でほとんど喋らずにいた僕は、大学に入ってから自分で劇団を作って、自分の内向をぶちまけていた。。あの頃、ツイッターと出会ってたら、多分劇団は作らなかったような気がする。(それがいいことなのか悪いことなのかは不明だけど)

 

③みんなで書くデスノートみたい

DEATH NOTE モノクロ版 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

(↑アマゾンのリンクです)

マンガの「DEATHNOTE」は、「そのノートに名前を書くと、名前を書かれた人は死ぬ」という死神のノートの話だ。そのノートを正義感の強い高校生が拾う。彼は独善的な正義感を暴走させ、ノートを使って世の中を支配しようとする、みたいなストーリー。

このツイッターというメディアでは、名もない一般人が発信した内容が、タイミングや内容によってはあっという間に広まる。場合によっては誰かを社会的に抹殺してしまう、ことがあるかもしれない。

僕の大学時代の友人には、ツイッターのサービスが開始されるはるか前に、「ツイッターもどき」をやっていた男がいる。僕が大学に入った頃、周囲で携帯を持ってた人間は1割程度。大学を中退(入学から4年後)する頃には、多分7割ぐらいの大学生が携帯を持っていたと思う(逆に言うと、まだ携帯を持っていない大学生もいくらでもいた)。そんな頃彼は、自分のホームページの日記(当時は「サイト」ではなく「ホームページ」、「ブログ」ではなく「日記」と言ったものです)を、「携帯から更新する」ということをやっていた。「山手線なう」みたいなことを、僕の知る限り時代を5年ぐらいは先取りしてやっていた(僕自身が40歳を超えた今になってツイッターを始めるぐらいの「情報音痴」だから、実際には似たようなことをしてた人はたくさんいたのかもしれません)。でも彼は、巨万の富は築けなかった。彼自身も認めていたが、彼は「自分の小ネタを発表できていれば満足」であって、「誰かと共有しあう」という発想はなかった、というのだ。
「リツイートしたい」という気持ちも、「リツイートしてほしい」という気持ちも理解できなかった、というのが彼の弁である。

この、「リツイート」がすごい。自分に何も発信するネタがないときも、「何かに」参加してる「気分」になれる。タイムラインとの組み合わせもエグい。ツイッター中毒になって(①)、1回か2回何かでウケると(②)、フォロワーのタイムラインに頻繁に自分を登場させておかないといけないのでは?という脅迫観念が訪れる。そんな時に、「拡散すべきかも」というネタが来ると、リツイートせずにはいられなくなってしまう。

キャッチーな動画と一緒に、わかりやすいストーリーで、「Aは許せない」となると、あっという間に「つぶやき」ではなく「大合唱」になったりする。

 

④わかりやすいほうが勝ち

ここで思うのは、「微妙な気持ちを遠慮がちに表明したツイート」は、端的に言って弱い、ということ。これは、世の中では普通のことなので、別にツイッターのダメなところ、とは思わない。

ツイッターに限らない一般論として僕がよく思うのは、「思い込みの強い人間のほうが声がデカい」ということ。

例えば職場で、「会社っていうのはチームなんだからさ。団結力が大事でしょ。飲み会参加しない新人とか、俺には考えられんよ。ガハハ」みたいな上司がいたとする。そんな人に限って、考慮に入れるべき条件をナチュラルに突破して、自分の考えに自信を持っていたりする。
僕は、そんな上司は個人的には嫌いだけど、「チーム戦の定義が曖昧」「団結力がなくても勝てるチームあるかも」「飲み会で団結できるか疑問」「飲み会で形成した団結力が仕事に生きるかは別問題」「新人が飲み会に来ないのは団結したくないんじゃなくて、あなたが嫌いなのかも」とかはなかなか言えない。
上司だから遠慮してしまうとかでもないし、どうせわかってもらえない、という諦めとも違う。単に、「とっさに言葉が出てこない」のだ。「ひょっとしたら、こういう人がいたほうが組織ってのはうまく回るのかも?」とか、「口では単細胞みたいなことを言ってるけど、考え抜いた上でバカのフリをしてるだけなのかも?」とかの可能性をまずは考えてしまう。上司のガハハに負けない声のボリュームで、「そうとは限らないでしょ!」ととっさに言える自分はなかなか想像できない。

ツイッターで出回る批判の部類が、すべて短絡的な思考とは思わない。「何の権力も持たない一市民が、考え抜いた言葉と柔軟性のあるユーモアで新しい何かを問題提起できる」みたいなことも、十分あり得ると思う。でも、「短絡的だからこそ自信満々な強い言葉」が、「反射的な拡散」で広がりやすかったりするな、とは思う。

ところで、マンガ「DEATHNOTE」の話に脱線してみる。面白いマンガであることは間違いないし、僕も推理バトルを夢中になって読んだ1人だ。でも僕は、ストーリーの中で「冤罪で誰かを殺してしまう」という危険性が特に取り上げられなかったのは不満だった。主人公は、テレビの情報などをもとに、極悪人の名前をノートに書いて裁いていく。当然、冤罪であったり、罰が重すぎたりするようなことも簡単に起こり得るだろう。だから、社会的なテーマとして冤罪の可能性にも触れてほしいというよりは、エンターテイメントとしても、主人公が冤罪の可能性にどうやって折り合いをつけたのか、というくだりがあったほうが面白いのでは、と感じていた。

ツイッターの話に戻る。僕のやってるアカウントは、NFLファンとして、アメフト情報に特化したものだ。アメフトを好きな人ばかりフォローし、アメフトに関することばかりツイートしていた。

なので、「悪質タックル問題」については、ワイドショーで取り上げられるよりだいぶ前に、動画を目にした。(というか、テレビでどのように取り上げられているかは見ていないのでよく知りません。爆笑問題さんの深夜ラジオのネタコーナーに寄せられた投稿で、時事ネタとして出てきていたので、相当流通したんだろう、と想像します)
僕は、あのタックルを見て、「すごいもの見たな」「見てはいけないものを見たな」というようなことを思った。僕は、NFLをネット観戦でずっと追いかけているだけで、国内の大学リーグについては何も知らなかった。NFLの放送(現地のテレビ放送のストリーミング)よりも引きの画で、NFLの選手よりも国内の大学選手は線が細く、グラウンドが広く感じる。だから、妙に生々しい映像に感じたのだ。
NFLは、僕にとって別次元の、別世界の人々がやってる、「架空の生物たちのプロレス」みたいに感じていたんだな、と今では思う。「国内の大学生選手の映像」は、自分と同じ人間という感じがする。
(これは、スポーツとしてNFLのレベルが高い、とかそういう話をしたいのではなく、僕が感じたリアルな恐怖感を再現したくて、下手な例え話をしています)

なので、「あのシーン」の印象は、「駅のホームで、誰かが誰かを線路に突き落とそうとしたのが、偶然カメラに映っていて、それが流出した」みたいな感じに近かった。

僕は、ツイッター上であの動画を見て、「何かコメントを付けてリツイートしよう」と、やはり反射的に考えた。でも、結局はスルーした。「故意にしか見えないけど、これだけじゃ判断できないな」と、これも反射的に思って、とりあえず判断を保留した。

そして結局2日後ぐらいに、「故意だと思うし、もしも故意じゃなかったとしたら、ある意味さらにひどい」と思うに至った。これは、2日間ずっとこのことを考えていたのではなくて、たぶん真剣に考えれば5分ぐらいでそういう結論に行き着いたと思うんだけど、特に考えてなかっただけのことである。

で、この時には、僕は「今更何か意見を言っても別に面白くないな」という非常に個人的な理由で、直接的なことは何も発信しなかった。あの行為が許されてもいいとは思わないけど(というか許されるべきじゃないと思います)、炎上の行き着く先がよく分からなくて、あまり参加したくないな、と思ったから。(この記事を書いた時点では、選手や監督、チームへの具体的な処分は決まっていません)

「有罪」と「無罪」のどちらに票を入れるか、なら「有罪」に票を入れるけど、「適切な量刑」は僕には分からない。「4試合出場停止」「3ヵ月出場停止」「1シーズン出場停止」「退部」「永久追放」とか、どのレベルの罰を誰に与えるのが適切なのかはよくわからないし、特に考える義理もないな、みたいに感じたりもした。行き過ぎな罰が加えられる(かもしれない)のに、それに参加したくない、ということだ。、
(じゃあここで書いてるこの文章は何なんだ、騒動に参加してるじゃないか、という自分ツッコミもあります。ただ、この文章は「拡散しやすいキャッチーな強さのある文章」ではないと思うので・・・要するに主観的な気分の問題です。また、ツイッター上で早くから問題を広めた人々を批判するつもりもありません。問題を露呈させるのを早めただけなようにも思います)

 

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⑤ブログ頑張れよ

かと言って、今回の騒動を体験して、ツイッターが嫌になったかというと、実はそうでもない。ツイッターがこの世に生まれるはるか前から、「キャッチーな批判や無根拠な願望を短絡的にリツイートする人」はいくらでもいたわけだし(「魔女を殺せ」とか?)、「短絡的ではない思考」を、シンプルに表現できる実力のある人もたくさんいることもわかったからだ。

(「あの大学から、俺の好きなNFLのチームに入団する選手とかいないし、どっちでもいい」という主旨のことをツイートしてる方がいて、僕はとても感銘を受けました。本来「どっちでもいい」以上のことを思わないはずの通りすがりのヤジ馬(僕もそう)が、「自分が気持ちよくなりたいだけの便乗的な義憤を垂れ流すこと」を、皮肉を込めてシンプルに指摘したものと思います)

即効的に問題を広めるのに、ツイッターはすごいパワーを持っている。だからこそ、「結論の出ない問題を、ネチネチ考える」みたいなことが、ブログでできたらいいな、と思ってこの記事を書いた。だから、開き直るわけじゃないけど、はっきりした結論はない。

「ツイッターの面白さを知らないなんて人生損してる」と最初に書いたけど、一方で、「ツイッターの面白さを知らずに済むのなら、それはもはや得がたい財産だ」とも、思ったりもしている。

 

(最後まで読んできただき、ありがとうございました!)

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