鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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【コールセンターあるある】ロープレでクセのある客を演じたがる先輩がウザすぎる件

20年以上コールセンターで働いてきて、一番嫌いなのは何か。それは、「ロープレでクセのある客を演じる奴」、なんである。もう、これが、蕁麻疹がでるぐらいに大っ嫌い。ちょっと説明させてくれ。

 

ロープレとは何か。ロール・プレイの略で、役割を演じること。コールセンターでは、仕事を覚える途中の新人が、トレーニングでやる模擬電話対応のことをロープレと言う。多くの場合、お客の役を演じるのは、同じチームの先輩である。


「クセのある客」とはどういうことか。例えば、イライラしてるとか、やたら早口、とか。話の順番が自由な人(かぶせてきたり、質問に質問で返したり)とか、要するに「対応の難しいお客」のことである。これを、演じたがる先輩のなんと多いことか。

 

僕の経験上、「クセのある客を演じたがる先輩」の出現確率は、9割を超える。ウソじゃない。誰もが、ロープレの台本を前にすると、演技派俳優になってしまう。ちょっとしたアドリブを加え、役作りを工夫して、個性を出したくなってしまう。まったく見ていられない。なんで見ていられないかというと、そんなの先輩のエゴだからだ。仕事上の優位性を背景に、後輩に対してマウンティングしたい心の表れなんである。


まずスクリプトを一通り読んで、入力システムを一通り習ったばかりの新人オペレーターが、初めてロープレをやる場面を想像する。その時のお客役に、「クセ」は必要だろうか。まったくもって必要ないでしょ。


だって、この時点での新人オペレーターが練習したいのは、「スクリプトのセリフを読んでみること」であり、「お客の言うことを聞き取ってメモを取ること」じゃないか。いや、それすらも初めてのロープレでは難しいか。その以前の段階。「練習パートナーである先輩との緊張を解いて、まずは練習の仕方を確認すること」ぐらいなんじゃないか。そんな時に、「不機嫌なお客にも落ち着いてハキハキとトークすること」とか、「座学で習ったことを組み合わせて、場面に合ったセリフを作る」とか、そんな練習やる意味がない。


「クセのあるお客」なんて演じる意味がないのに、どうしてやってしまうのか。新人に対して自分が優位な位置にあること(仕事を知っていること)を、見せたいんである。新人をイジメたいというような意図があるわけじゃない。先輩自身が、仕事への自信を持てていないから、その裏返しで「役に立つ、いいロープレ」をして安心したい、みたいなことなんじゃないか。


で、僕が一番腹が立ち、悲しい気持ちになるのは、それって仕事を教える側の甘えであり、エゴであり、実力不足(要するに教え方がヘタ、ということ)なのに、そういうやつに限って、いかにも「指導熱心なやさしい先輩」みたいな態度でいて、上司もそれを認めている、なんて場面が多いから。(上司も実力不足で仕事に自信がないから、熱心なバイトに指導を丸投げするわけであって)


「はじめてのロープレ」だけでなく、2回目、3回目でも「ちょっと工夫したロープレ」が続くのは、まったく見ていられない。新人オペレーターは、仕事内容だけでなく、先輩への対応の仕方も覚えなくちゃならないんだから、ウンザリだよね(ひょっとしたら、「それも仕事のうち」なのかもしれないけど)。


さて、この辺でコラムはおしまいにしよう。次回は、僕が嫌いなこと第2位の「朝礼でジョークを言う上司」について書くつもり。お楽しみに。

素直でマジメな人が不必要な権力行使に加担してしまう切なさについて

半年に一度、会社では「緊急連絡メールシステムの訓練」が行われる。地震や台風などの災害が起きた時に、従業員に安否を確認するメールが一斉送信されて、僕らはそのメールを返信する、というもの。昨日もあった。


僕は、この「緊急連絡訓練」が、ものすごく嫌いなんである(例によって心が極端に狭い)。何が嫌いかと言えば、90分以内に返信しないと、チーフから電話がかかってきて、メールを返信できなかった理由を聞かれるんだ。


この、「90分以内に返信しろ」の「圧かけ」が、悲しくなる。特に説教をされるわけでもなく、嫌味を言われるわけでもない(「メール確認できてますか? 気をつけてくださいね」程度だと思う)んだけど、それでも、僕には「パワハラと大差ないじゃん」と思えてしまう。まあ、パワハラではないかもしれないけど、同根じゃないですかね。シンプルに「そんなことしないでもよくない?」と毎回思う。


災害時を想定したシステムがあるのはいい。それを半年に1回確認するのもいい。アドレス変更を会社に届け出ているか、迷惑メールの設定になっていないか、確認するのは必要な気がする。でも、「90分以内の返信」は求める必要なくないですか? 「次回の出勤時までに返信」などのルールで実施しても、十分訓練の意味がある気がする。


実際の災害時を想定してみて、90分以内にメールが送れるかどうかなんてわからない。地震直後ならメール自体が混み合ってるかもしれないし、夜中だったら(あるいはどの時間帯でも)寝てる途中かもしれない。


従業員の無事と出社可否を早く確かめることで、別の拠点に応援を求めたり、シフトが休みのスタッフに臨時勤務を募集したり、対策ができるから、早めの返信が望ましいのかもしれない。でも、それだって100%じゃなくていい。実際、90分返信がなければ、メールは自動的に再送信される。催促はそれで十分な気がする。


それなのに、メールの返信が遅れたスタッフには、90分後に電話をかけることになっている。これは、「圧力」じゃないですか。「緊急時のメールシステムの確認、訓練」というルーティンに、「会社への忠誠度チェック」という余計な要素が、いつの間にか加わってる。だって、チームごとにメール返信率が把握され、それが社員たちの間で周知されているんである。あまりにバカバカしいじゃないか。


バカバカしいというか、前向きな言葉を使えば、何でそんなことになってしまうのか、ちょっと興味深い。僕は、自分が休みの日に、会社への貢献度を試されるのは遠慮したいな。反抗したいんじゃなくて、シンプルに不要じゃないですか。勤務時間に忠実に業務するために、休日は会社のことはできる限り忘れさせてくれよ。


でも現実には、真面目なチーフは(嫌味な言い方をするなら「素直な人」は)、「チームのみんなにちゃんと返信をしてもらおうと呼びかけなくちゃ」ってなってるし、真面目なスタッフは「私の返信が遅れて、チーフに恥をかかせたら悪いから、ちゃんと返信しなくちゃ」と、休日なのに緊張してアラームをかけたりしてるんだ。


「ただの確認、訓練」に、「業務命令への忠誠度チェック」という要素がいつの間にか加わって、「素直でマジメな人」がそれに過剰に適応してしまう。それで、「悪人が1人も登場しないのに、結果として誰かを不必要に緊張させる」という事態を招いてしまう。そこまで思って、僕は悲しくなる。「素直でマジメな人」が、ある意味加害者になってしまってるじゃないか。


僕が神経質すぎるのかな。だけど、普段からよほど気をつけていないと、「悪意がなくても権力の必要以上の行使は起きてしまう」と、僕はいちいち思い出してしまうんだ。権力の行使をする時(この場合、メールを返信せよという業務命令)、それが小さなことであっても、本当に必要なことかどうか、チェックするクセをつけたいな、と思ってる。賛同してもらえる自信はあんまりない。


(※会社のことを書いているので、フィクションも混ぜて書いてます。僕はメールに気づいて2分で返信しました。僕も「素直でマジメな人」の一員かもしれません)

外国人が上司になることを想像しろ

「外国人に対して差別心は持っていません」と、自分ではそう思ってるし、そう思いたい。でも、ひょっとしたらそれは、自分にも差別心があると気づく場面に、遭遇せずに済んでるだけかもしれない。


例えば、同じ職場に外国人が働いていたとして。僕と同じ待遇、同じ賃金で働いているとして。「仕事の遂行力が同じだとしたら、報酬も同じなのは当然でしょ」と、僕は思えるか。たぶん、思えるはず。だけど、僕よりも後に入社した外国人が、昇進して、僕の上司になったとしたらどうか。正直言うと、「納得いかない」と思ってしまうんじゃないか。


ちょっと経ってみて、「いや、日本人だったとしても、僕は年下の上司をやっかんでるわけであって、外国人差別とはちょっと違うかも」とも言い訳を考えた。


でも、いずれにせよ、「外国人が上司になる」という場面を、僕が今まで考えたことがなかったのは間違いなくて。僕も、かなりヌルい範囲で多様性を捉えていたものである。「外国人であっても、入社できる」なんてことは、平等でもなんでもない。「外国人であっても、管理職になれる」じゃないと、おかしいじゃないか。(そして、外国人のところには、年齢や性別や、「何らかのハンディキャップ」を当てはめて考えてもいい)


どうしてこんなことをメモしているのかと言えば、「あらかじめ想像しておけば、対処できるかも」と思ったから。落ち着いて考えれば、「どんな属性であれ、能力ややる気次第で、それに見合った待遇を得るのに障壁があるのはナンセンス」と思えるわけであって。でもイメトレをしていないと、「今まで無意識に自分が優越を感じてきた相手に、自分の利益を奪われた」みたく感じてしまうと思うから。


「アルバイトスタッフの僕が、管理職になれないのは差別と同じですよね?」と、僕は面談の時に上司に必ず伝えてる。その話はここでは詳しくは書かないけど、要するに差別って「どこかの誰かの問題」ではなく、誰もが当事者になり得る問題、ということ。ある程度運が良ければ、みんな高齢者になる。誰もが感染症に罹患するかもしれない。そう思えば、差別を克服するためのイメトレを、あらかじめしておいた方がいいんじゃないか、と思い出した。

誰にも伝わらない抗議を続けてたAさんのこと

かなり昔の話なんだけど。職場(コールセンター)で起きた珍事について、最近よく思い出す。自分の中でも、「大事な話」なのか「どうでもいい話」なのか決めかねてるんだけど、メモしておく。(会社の話なので、ちょっとフィクションを混ぜるようにします)


物静かなAさんは、真面目そのものというような人柄で、仕事の要領はあまりいい方じゃなかった。会社が用意したスクリプトどおりにお客と話そうとして、お客を怒らせたりするし、お客から聞いたことをすべて省略せずに書類にまとめようとして(要約が苦手)、1件の仕事に時間がかかったりしていた。


「ちょっとぐらい要領がいいからと言って自分に能力があるつもりのヤツ」なんか僕は嫌いなので、どちらかと言うとAさんみたいなタイプの人は好きなんだけど、Aさんはコミュニケーションに積極的な方ではなくて、本当はどんな人だったのかは僕にはよく分からない。「真面目そのもの」とさっきは書いたけど、「真面目」が正しい形容なのか自信はない。


さて、そんなAさんがある時、「小さな、一人だけのボイコット」みたいな行動を始めたんである。


当時の僕の職場では、20人ぐらいで1チームを組んでいた。そのうち出勤する人は少ない日で10人、多いと15人ぐらい。仕事には電話機とPCが当然必須なんだけど、使う座席は日替わりで決まって、座る席を指定する表のようなものが貼りだされる。アルバイトのスタッフたちは、勤務当日の朝にその表を確認して、指定された席に座るのがルーティンだった。


ところが、ある時からAさんは、その「指定された座席」に座らなくなったのである。一人だけ、少し離れた空席に座って仕事の準備を始める。その行動をいぶかしんだバイトリーダーが、「こっちだよ」と声をかけるんだけど無視する。チームリーダーの正社員が、Aさんに声をかけ、決められた席で仕事をするように指示すると、ようやく従う、みたいな感じ。


明らかにめちゃくちゃ反抗的な態度である。「割り当てられた場所でない場所を占有しようとする」行動で、控えめに言って業務命令の無視だ。


そして、Aさんの反抗は、ちょっとずつこじれていく。そのうち、社員が声をかけても、席の移動を拒むようになった。理由を聞いても、「それはもう伝えました」と教えてくれない。当然、チームの中で孤立していってしまう。なんであんなことになってしまったのか。今当時を振り返って思い出しても、ちょっと意味が分からない。最初はちょっとした不機嫌の垂れ流しぐらいだった反抗が、そのうちひっこみがつかなくなって、使命感を帯びたボイコット的行動になってしまった(のか、どういうことなのかカテゴライズができない)。


実際のところ、僕はAさんに同情的な気持ちを持っていた。Aさんは「決められた席に座らない」以外には問題行動はなくて、不器用ではあるものの仕事内容はマトモなままだった(特に何かが荒れるとかはなかった)。彼女の本意はよく分からないけど、素直に受け取るんなら、Aさんが嫌だったのは「決められた座席に座ること」に関係がある。僕は、「座席を決めるのが好きなバイトリーダーたち」が嫌いだったから、Aさんが理由を話してくれたら、ある程度はその気持ちを理解できたんじゃないか、と想像してる。


「座席を決めるのが好きなバイトリーダー」が嫌い、なのはどういうことか、ちょっとまとめておきたい(これはAさんの話ではなく、僕自身の考え)。


当時、僕のコールセンターでは、バイトリーダーがチームのメンバーの座席を事前に決めていた。今から思うと、このカルチャー自体あんまり好きじゃなかったな。チームのなかに、「座席決め」の仕事が好きなバイトリーダーが2人ぐらいいて、要するにチームのメンバーへの支配欲が満たされて楽しいんだろう。「どこに座ってもらうか」に強烈なこだわりを持っていた。


バイトリーダーの両隣は、だいたい新人が座る。バイトリーダーの役目は、電話が入ったら通話をモニタリング(傍受)しながら、新人が困ったら助けられるように内容を把握する(必要な検索をして、結果をメモに書いて渡したり)。通話が終わったら、それを所定のフォームに入力する(プリントアウトしないのに、「書類」って言いますよね)んだけど、書類が仕上がったら漏れがないかチェックする。そこまで終わったら、必要に応じて質問に答えたり、通話内容を振り返ってアドバイスしたりする。


バイトリーダーの両隣に新人が座るのは、ある程度必要性があると言える。隣に座っていれば、通話中に画面を指さしたり、新人の画面操作が適切かチェックしたりアドバイスしたりがやりやすい。


ここまではいい。「新人を隣に座らせる」というのは「支配欲を満たすため」という以上に、「業務上必要なこと」だと思う。じゃあ僕は何が嫌だったのか。


例えば、新人スタッフが何かの理由で当日欠勤したとする。すると、バイトリーダーの隣の席が空席になるんだけど、その空席に誰か別の人を指示して席を移動させることがあった。僕は、これがすごく嫌いだった。「その日のメンバーの中で、一番指導が必要そうな人」を指定して、みんなに発表してる感じがする。


つまり、バイトリーダーに近い席が「手助けや指導が必要な人」として、遠い席の人が「1人でも判断できる能力のある人」として、なんとなくチーム内の序列ができてしまう。そして、「その序列を決めているのは私」と言いたげなバイトリーダーの傲慢さが野放しにされてしまう。


その、「座席によってチーム内の序列が決まってしまうこと」が嫌いで、どうしても受け容れられず、Aさんは抗議していたんじゃないか。「スタッフに座席を割り当てること」は業務上必要なことかもしれないけど、それを偉そうに指図するバイトリーダーの態度は許せない、というような。


僕個人としては、Aさんの“謎の問題行動”を否定もせず肯定もせず、ほとんど「ないこと」のように接していた。少し離れた空席でログインをするAさんに挨拶だけしてあとは構わない。急ぎの業務連絡がある時だけ伝え、逆にAさんに質問や相談がある時だけそれに応じた。その席に座っていることを責めることも、認めることも避けた。


ああ、でもAさんには直接話したりはしなかったけど、ちょっと味方をしていたかもしれない。僕がバイトリーダーとして座席を決める当番の時は、「自由席制」にした(自由に選んでいいと言われても困るから決めてほしい、と思ってたメンバーもいたことだろう)。


それからしばらくして、年度替わりでチームの再編成があり、僕はAさんとは別のチームになった。座席の配置にこだわりがあったバイトリーダーの1人は正社員になり、別の1人は定年で退職した。新しいチームでは、座席は正社員が決めることになった。Aさんの静かなボイコットがその後続いていたかは知らない(何しろ、僕の中では「ないこと」として扱うことに決めていたので、うわさを聞こうともしなかった)。


その2年後ぐらいに、Aさんは会社を辞めたらしい(うわさで聞いた。もちろん理由は知らない)。正社員になった座席指定好きの人も辞めてしまった。僕は辞めることもなく、正社員に昇格することもなく、限界バイトリーダー(もうアルバイトとしてはこれ以上昇格できない人)として会社に残り続けた。


それからさらに7年ぐらいが過ぎた気がする。最近になって、僕はAさんのことをよく思い出すようになった。あの、コントみたいな抗議はいったい何だったんだろう。要求はなんだったのか。それを誰かに伝えていたのか。チーム内で孤立するのは、辛かったか。それとも、そんなに辛くない鋼のメンタルの持ち主だったか。全部が分からないままだ。


Aさんのことをよく思い出すようになったのは、僕も同じような「こじらせ方」をしそうな気がするからだろう。年下の上司の、ちょっとした権力の乱用が許せない。でも、さわやかに異議を唱えるなんてできない。だって、その許せなさの7割は嫉妬が原因だから、表に出すのが悔しすぎる。


まあ、Aさんの「こじらせ方」と、僕の「こじらせ方」はまったく別の話かもしれないし、そもそも、最初に書いたとおりに、僕にはこの話が「大事な話」なのか「どうでもいい話」なのか、いまだに分からないままなんだけど。

【細かすぎて伝わらないコラム】僕が許せない上司の行動5選

「上司のこんな言動に腹が立った」という話を書き出して、心を落ち着けたい。「このぐらい気にするなよ」と自分でも思うような、細かい話だけど、思っちゃったんだからしょうがない。

 

 

朝礼で雑談

朝礼で、一言説教を挟む上司はもちろん嫌われる。なんだよ、偉そうにするな。だけど、僕にとっては、ギャグや雑談を交えるのも同じぐらい嫌いだ。朝礼は、業務の一環だから、チームのメンバーは上司の話を聞く義務がある。そこに、ジョークを挟むとは何事か。「和ませようと思って」とか、言い訳にならない。


部下は、「聞く必要があるから」上司の話を聞いてるだけであって、上司の話が「面白いから」「タメになるから」聞いてるわけじゃない。話を聞かせる立場にある権力を乱用するな。


声がデカい

僕の譲れない偏見。「声のデカさと、上司の無能さ」は比例する。仕事の内容に自信がないヤツほど、無意識に声が大きくなる。「自分の言うことに他人が従う快感」に、いつまで経っても慣れてないんだ。


TPOに声の大きさが合ってないなら、それは「状況が読めてない」か、「自分の在り方をコントロールできてない」のどちらかだ。


(若手はいい。仕事のできなさを、元気でカバーしてろ)


「休憩行っていいですか?」「どうぞ」

僕はずっと、「休憩どうぞ」が嫌いで、これは自分でも潔癖症すぎるんじゃないか、と思うんだけど。でも、好きな上司が言ってたとしてもちょっとカチンと来る程度にはホンモノの気持ちなんだ。


どういうことか。休憩に行くのは、「業務上定められた仕事の一環」じゃないですか。「適切に休むのも仕事のうち」でしょう。ただ、みんなが好きなタイミングで休憩に行ってたら現場が回らなくなるので、それを監督する人が必要なだけ。だから、「俺の一存で認めてやる」みたいな雰囲気を出されると、「そうじゃないでしょ」と思ってしまう。


「このタイミングで休憩取得というタスクを消化するのがベストだな」と思って、言わば業務の提案として「休憩行っていいですか?」と言ってるんだ。「どうぞ」じゃなくて、「お願いします」じゃないですか。


質問に「キョトン」と答える

「この場合の処理を、AにするかBにするか迷ってるんですけど」「念のための確認ですけど、この処理は不要ですよね」という相談に、即答で「Aです」とか「不要でいいでしょ」とか答えるのが、僕にはどうも気に食わない。


質問や確認をしたことを、「そんなの当たり前でしょ(そんなことも分からないの?)」と、バカにされてる気分になるからだ。頼む。ほんの一呼吸でいい。そこに疑問を持った僕の思考の行程に共感してくれ。


(これは、さすがに僕も自分が繊細すぎるかな、と思うので、「トーンから余計な真意を勝手に読み取らない」ように気をつけてます)


エレベーターで降りる順番を譲る

僕の嫌いなもの。エレベーターでの降りる順番の譲り合い。「お先にどうぞ」「いえ、そちらが先にどうぞ」だ。その1秒強のムダな時間、その階で降りない他の利用者、あるいは次にそのエレベーターに乗る人を待たせてるだろ、と。他人の時間を奪ってるじゃないか。気の使い方の視野が狭いんですよ。もう1つ外側まで気の使い先を含めましょうよ。


子どもや高齢者、エレベーターを早く降りられない人がいないんなら、降りるタイミングでの譲り合いは不要。シンプルに、降りやすい場所にいる人から順番に降りればいい。


さて、僕は、この「お先にどうぞ」を上司にやられると腹が立つんんである。そうすると、「いや、○○さんこそお先にどうぞ」と、譲り合わなくちゃいけないんじゃないか、と一瞬迷うじゃないか。僕の嫌いな、「順番の譲り合い」だ。勘弁してください(結局、一瞬迷ったあと、遠慮なく先に降りるんですけど)。

 

以上、自分でも「繊細すぎるだろ」と思えるような「上司の嫌いな行動」を思い出してまとめてみました。端的にいうと、「権力の乱用」が嫌いで、それがセコいほど気になってしまうということかな、と思います。

 

 

教えるのがヘタなヤツあるある【コールセンターOJT】

コールセンターは離職率が高い。新人も、中堅も、ベテランもガンガン仕事をやめていく。入れ違いで別の新人が入ってくるので、常に「新人教育」が回転している。


それなのに、悲しいことに。「教えるのが上手いトレーナー」の数は本当に少ない。よくある問題点を整理するために、「教えるのがヘタなトレーナーあるある」をメモしてみた。


(もくじ)

教えるのが好き

これはひょっとしたら僕の偏見かもしれない。でも、このコラムの骨子になる内容なので、どうしても最初に書きたいんである。


「教えるのが好きヤツに限って、教えるのがヘタ」じゃないですかね。


どういうことか。「先輩風を吹かせて後輩に仕事を教えること」って、性欲や食欲に匹敵するほどの、「快感」だと思う。もう、これはしょうがない。偉そうにすることは、「最高に気持ちがいいこと」だと、認めた方がいい。その快感を自覚してない人は、それに溺れてしまう。


「教わる側のニーズ」を汲み取れずに、「教えたら偉そうにできること」を優先して教えてしまう。「教えるのが好き」なのはしょうがない。でも、それを恥ずかしげもなく表に出せる人は、たいてい教えるのがヘタ、なんである。


「ちなみに」

教えるのがヘタな人は、「新人が今困ってること、知りたいこと」よりも、「自分が教えたいこと」を優先してしまう。そんな人が口癖にしがちなのは、「ちなみに」である。


どうしても我慢できない。豆知識や、自己流のコツを伝えてしまう。まだ「原則」を理解できない新人に、「例外」を伝えるのは非効率だ。なのに、教えてしまう。ああ。

 

「絶対にダメ」

業務ルールや商品知識の習得がまだ完全でない新人が、間違ったトークや入力をした時に、トレーナーが何か指摘をする。新人は、トレーナーの言ってる内容に納得できず、「何でですか?」と聞き返す。そんな時に、教えるのがヘタなトレーナーは、「とにかく絶対ダメ」と言いがちなんである。


このやり取りの何がヘタか。新人の「何でですか?」を、「反抗的な態度」「言い訳」のように寄せて受け止めているところ。そんなの受け取り方次第じゃないですか。


「ダメ出しを受け止めてもらえなかった」ことを、「新人が素直じゃない」と取るか、「教える自分が説明不足だった」と取るかで、コミュニケーションの質は変わっていく。「アンタ、素直じゃないね」という態度で新人に接していると、本当に素直じゃなくなっちゃうと思うけど。

 

タメ口で話す

「タメ口」は、感情が乗りやすいので要注意かな、と思う。新人がお客の対応を開始して、それをトレーナーが横でフォローする時には、新人だけでなくトレーナーにもプレッシャーがかかるもの。


そこで、トレーナーの心の動きが表に出てしまうと、新人は「お客を怒らせないように」に加えて「トレーナーを怒らせないように」と、ダブルで気をつけなくてはいけなくなって、仕事の難度が一気に上がってしまう。

 

つまらない冗談を言う

「冗談を言いたがる上司」は要注意だ。あれは、「場を和ませよう」としてるのではなく、「俺は好きなことを言っていい立場だ」ということを周囲に誇示して、自分で確認してるのである。(僕は、朝礼でギャグを言ってくるのは「権力の乱用」だと思っていて。この考えがいち早く世の中の常識になってほしい)


もし場を和ませたいなら、上司は冗談を言わないでいい。調子に乗った部下の冗談に、控えめに笑うぐらいで丁度いいじゃないですか。冗談を言いたがる上司に限って、部下の冗談に非寛容だ。あれは、「好きなことを言っていいのは俺だけ」と心の中で思ってるからじゃないか。


さて、OJTでのトレーナーと新人の関係も同じ。冗談を言いたがるトレーナーは要注意。本当に新人をリラックスさせてるのか、トレーナーが気持ちよくなってるだけなのか、3分ごとに問い直してほしい。

 

一緒にランチ行きたがる

これも同じ。本当に新人が先輩と一緒にランチに行きたがってるか。飲み会に誘ってほしがっているか。よくよく考え直したほうがいい。


(まあ、これは「感染予防の観点で非推奨」という新常識で、このまま「新人誘いたがり先輩」の数は減りそうな気もする)


お客の悪口を言う

態度が横柄だったり、要求が厳しかったりするお客との電話対応を終えたあと。お客に叱られた新人を慰める時に、「今のお客さんはあり得ない」みたいにお客の悪口を言うのは、あんまりおすすめじゃない。


「新人の味方になってあげる気持ちよさ」を最も安直に実現できるのが「お客の悪口」だ。でも、これは教え方が上手い、とは言えない。どうせ同じようなタイプのお客への対応は今後もあるのだ。その度に「お客の悪口」を言っていても、それはむしろオペレーターがお客の「悪さ」を引き寄せてしまうことになる。


具体的な処方箋を示すのがベストだけど、それが難しいなら「大変でしたね。今のお客さんは、私が対応しても、難しかったと思います」というような慰め方でどうか。


おわりに

もう、20年以上コールセンターで働いていて、仕事を教えたことも教わったこともある。研修の資料を作ったり、トレーナーの管理をしたりもした。その中でできあがった僕の「思い込み」をまとめたみた。


仕事を教わる側の状態(どこまで理解できていて、次に何を覚えるのがいいか)を見極めて、新人のニーズをできるだけ尊重してOJTをやるのが効果が高いと思う。


そんななか、トレーナーの「教えることの気持ちよさ」が、案外邪魔になってるんじゃないかな、というのが僕の実感である。


僕には、「トレーナーと新人のペアはなるべく交代したほうがいい」という持論があって、ことあるごとに上司や同僚に提案するんだけど、あまり採用されない。ひょっとしたら、僕が間違ってるのかもしれない。

 

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仕事を教わるときに気づいたこと【コールセンターOJT】

職場(コールセンター)でこの6月に配置転換があり、新業務を覚えるている。新しいチームで、「先輩から仕事を教わる」ということ自体が僕にとってはかなり久しぶりだ。いくつか気づいたことをメモしておきたい。

妙なプライドが最大の敵

仕事を教わる時、一番の困難は「プライドの克服」だな、と再認識した。ここでいうプライドとは、悪い意味での「見栄」みたいなこと。


「教えられたことがすぐに覚えられない」「一度できたことでも失敗してしまう」「応用問題になると解けなくなる」「ノロノロと業務スピードが遅い」


これらは、新人なら当然のことで、恥ずかしくもなんともないことだと思うんだけど、実際仕事を教わってる場面ではつい「使えない奴だと思われてるんじゃないか」と、ネガティブなことを思ってしまう。そうすると、いいことは1つもない。萎縮して失敗しやすくなるし、見栄を張って「分かったフリ」をしてしまう。


仕事を教わる側としては、「恥をかくのも仕事のうち」と覚悟を決めるのが、逆に一番楽かな、と思う。とにかく、自分のプライドに意識を持っていかないようにする。そうした方が、逆に恥をかかない。


逆に、仕事を教える側が「恥をかくのも仕事のうち」と思っていたら最悪で、「何度同じ質問をされても1回目と同じように答えるのが仕事」というマインドセットが適切なような気がする。「アンタ、使えないね」みたいな空気を出してしまうのは、「教え方がヘタ」と思ったほうがいい。


教えるのがヘタな人に限って教えるのが好き

「教えるのがヘタな人に限って教えるのが好き」というのは、「仕事あるある」なんじゃないか。そんなことをここ数ヶ月でよく思った。


新人(この場合僕のこと)がAという業務ルールを覚えようとしてるタイミングで、「ここにはBとCという例外があります」という豆知識を伝えようとしてくるのは、教え方がヘタなんである。


「A」をマスターしてはじめて、「B」や「C」が必要になるのであって、「A」の段階を習得中の新人に「B」「C」を教えようとするのは、「先輩風吹かせたいだけの単なるエゴ」だろう。


「先輩面をするのが好きな人」は結局、「教えることの気持ちのよさ」に研修内容が寄ってしまうので非効率。業務習得中の新人のニーズに、内容を寄せられる人が教え上手。


「新人をしつこく叱責して萎縮させるパワハラ野郎」はさすがに僕の職場にはもうほとんどいないけど、「先輩面したがり屋」は今でもたくさんいる(そういう人の褒め言葉って空々しいんだよな)。


マニュアルを整備しろ

「先輩風を吹かせたいトレーナー」に、「これはマニュアルいは書いてないんですけど、こうすることになってます」って言われた時に何度も思ったこと。「マニュアル整備しとけよ」と。


どこまでいっても「マニュアル化できない業務上のコツ」とか「暗黙のルール」とかは当然あるんだけど、「その内容、マニュアル化できるよね」と思うものもたくさんあった。


あるいは、マニュアルを一緒に読みながら、「これは実際の業務にはほとんど関係ないんですけどね」とかそういうのも。「逐一削っとけよ」って思う。不要なルールを1つなくすことは、100の精神論より価値が高い。


過不足のないマニュアルの方が、業務習得の効率はあがる。マニュアル整備が、平常業務として都度行われる職場は強いだろうな、と想像した。

 

座学と実務を往復しろ

コールセンターでの研修の過程は、

①業務知識、商品知識、端末操作の座学
②ロールプレイ
③先輩がマンツーマンでモニターして本番電話対応
④1人立ちして受電

という順番が多い。


で、①が終わってから②、②が終わってから③、とバカ丁寧に順番を守って研修することが多いと思うんだけど、それって非効率じゃないですかね。


たとえば、「①→②→①→②→③→②→③→④」というように、座学と実践を何度も往復するのが効果的ではないか。


習得するべき知識の2割程度が理解できれば、とりあえずロールプレイはできる(アクセルとブレーキとハンドル操作ができれば、教習所内で運転練習は始められる)。


それならば、とりあえずロールプレイをしてしまえばいい。少しでも本番を意識出来る状態で、業務知識や端末操作を習った方が集中できるはず。ロールプレイで、仕事の全体像を体感してから、座学をした方が知識が身につきやすい。


同じように、本番の電話受付を経験して、「案外イケるかも」と萎縮が抜けたり、「やっぱり操作スピードが追いつかない」と課題を理解したりした段階で、もう一度ロールプレイをしたら、効果的だ。用件把握が難しい電話冒頭の練習だけ繰り返してもいいし、苦手な端末操作があれば、その部分だけ練習してもいい。

 

“新人に仕事をインストールする”という共同作業

新業務習得の時に、「教える側」と「教わる側」を上下関係で捉えるとロクなことがないな、と思う。なんとか、上下関係ではなくて「役割分担」と捉えることはできないか。


トレーナーは「偉い」から教えるんじゃなくて、新人が仕事を覚えるのを助けてるだけ。いつ、何を、どのように教えるかは、「新人の仕事習得にプラスになってるか」を基準に判断する。時には、「メモをまとめる時間、今から10分取っていいですよ」と言って新人を放っておくのがベストの指導になることだってある。


新人の立場でも同様で、「教えるのはトレーナーの仕事」と、研修期間を受動的に捉えるよりも、「自分が仕事を覚える」という任務を、トレーナーと一緒にやってる、と捉えた方が効率的だ。


「今の部分分からないので、もう一度読む時間取っていいですか」「この動作が苦手なので練習したいです」「あ、この内容自分で資料探せると思うので2分だけ待ってください」など、自分が理解できている部分、そうでない部分を伝えられると、「仕事のインストール」がはかどるだろう。


おわりに

「仕事を教わる時」に気づいたこと、感じたことをまとめてみました。どこかで誰かの参考になったらうれしいです。

 

 

 

(よろしければこちらもどうぞ。仕事で感じたことのエッセイです↓)  

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「権力の行使の快感に溺れるな」と岩に刻め

 


似たような話を何度も取り上げてるような気がするんだけど、何度も繰り返しそう思っちゃってるんだから仕方がない。


僕の実例から。コールセンターのバイトリーダーとして10人ぐらいのスタッフを管理する際に、全員に15分の休憩を交代で指示する場合。僕は「○○さん、休憩どうぞ」とは言わない。「○○さん、休憩取得お願いします」と言うように決めている。


どういうことか。「休憩どうぞ」には、「バイトリーダーである俺が、お前たちの休憩を認めてやってる」という図々しい潜在意識が出ている、と思うからだ。休憩はもともと会社のルールで認められているものであって、バイトリーダーの手柄でゲットした戦利品でもなんでもない。それなのに「俺が認めてやった」という雰囲気を出すことの何たる浅はかさ。ダサさ。バイトリーダーは、ただ単に休憩の順番を指示しているだけであって、「業務上の段取りを1つ消化してください」と伝達する役割を果たしてるにすぎない、と思って「お願いします」と言うことにしている、ということ(我ながらめんどくさい奴だな、と思います)。


もちろん、実際の言葉は声のトーンとかタイミングとかでニュアンスが変わるので、「どうぞ」という言葉にまったく威張った感じが混ざってない人だってたくさんいる。だから、他の人がどう言おうとどっちでもよくて、あくまでも個人的なこだわりとしての話。自分は偉くないんだと繰り返し言い聞かせないと、勘違いしてしまう、と全力で警戒してる、という。


朝礼で注意点を伝える時だって同じ。そこには、「指示を伝える」という業務と、「指示を聞く」という業務があるだけであって、「指示を伝えている人間が偉い」ということではない。


権力の行使は、本能的な快感がある。まずはそのことを認めなくちゃいけない。「俺の話をみんなが聞いている」というだけで、脳内に快感物質が出ている。だから、気持ちよくなっちゃうのは、もうしょうがない。だけど、この「気持ちよさ」を自覚しないと、気づかないうちに「何度も繰り返し快感を味わいたい」と思ってしまう。それが、いろんな職場で生産性を下げている要因になってるんじゃないか、と想像する。


「権力を行使する快感」に無自覚でいると、「権力を行使する機会」を減らすことに抵抗を感じてしまう。例えば、上で挙げたばかりの「朝礼」、本当に毎日必要だろうか。これは個別の職場で「朝礼」の果たしている意義が違うだろうから一概には言えないので、僕の職場での実感としてなんだけど。毎日やる必要はないと思う。むしろ、「情報を周知する」とか「精神的に気合を入れる」とか、いずれにせよ「必要になったタイミングでやる」方が効果が高いのではないか。違うのか。「毎朝の習慣」として、要不要にかかわらずやるルーティンが重要なのか(違うかな)。

 

もし毎朝やるとしても、「権力の行使の快感」を排除して朝礼を考え直したら、もっと効果的なやり方にならないか。「現場で、一番権限的には下のスタッフが、交代で朝礼をやる」っていう会社があったらすごいな、と思うけど、それってそんなに難しいことでもないと思う。それがいつまで経っても「上から下への伝達(+若干説教っぽい一言)」の形態から変わらないのは、ただ単に「朝礼」という儀式を借りて、「上下関係を確認する」のが上司にとって快感だから、ではないか。


さて、なんとなく分かりやすいから朝礼を例に出しただけであって、朝礼は別にやってもいい。たかが10分ぐらいのことだ。だけど、もっと仕事の生産性に直結するところで、「無駄な手順の温存」が行われていないかは考えた方がいい。

 

僕の職場では、電話応対の業務中に使う様々なデータベースがある。そのうちのいくつかは、「バイトリーダー以上」とか「正社員以上」とか、決められた職位でないとアクセスできないものがある。そのデータベースを調べる必要が出た場合に、スタッフは「○○を調べてください」とリーダーに言いに来て、リーダーが検索結果を返すと「ありがとうございます」とお礼を言う。


このやり取りが、リーダーにとって「最小のコストで偉そうにできて、気分がいい段取り」なのだ(恥ずかしい話、僕自身も偉そうにできて気分がいい)。でもこれは、とても非効率な段取りだと思う。そんなに難しいシステムでもないんだから、スタッフに使い方を教えて、スタッフ自身が使った方が早い。顧客によりよい対応が提供できる可能性が上がる。でも、一番最前線にいるスタッフに、なかなか権限が渡っていかない。


どうしてか。「権限を譲り渡したら、上司がいい気分ができなくなるから」じゃないか。「情報セキュリティ上、アクセスできる人間を制限する」とかの場合もあるのかな。いや、そんなのただの言い訳だよ。システムや運用のガイドラインでいくらでも対応できるはず。本当にしょうもない現実として「上司がいい気分ができなくなる」から、現場の改善が進まなくなる、なんてことは世の中のそこら中で起きてることなんじゃないか。


このコラムのタイトルを、“「権力の行使の快感に溺れるな」と岩に刻め”にしようと思う。「大抵の仕組み」は権力のある側がルールを決めて、運用するので、「権力が使えて気分がいい」ということを相当に自戒して意識しないと、無駄な仕組みを温存させてしまうことになる、というのがメモしておきたかったこと。


「小さな既得権を捨てられる人」が、実は世の中に最も貢献しているのではないか。僕はどうだろう。正直言うとあんまり自信がない。さんざんみじめな思いをしてようやく手に入れた既得権、そう簡単に捨てられるだろうか。「既得権を失った時に不満に思うのはダサいな」とぐらいは思うようにしよう。

 

 

 

 

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コールセンター歴20年の僕が思う、いいお客様とは

 


コールセンターで実際に電話対応をしたり、新人オペレーターを教えたりする中で、「こんなお客さんばかりだったら助かるな」と感じたことをまとめてみました。コールセンターに電話をかけるときに参考にしてもらえたらうれしいです。

 

(もくじ)

 


「ながら」で電話しない

以前のこと。普段温厚なオペレーターのFさんが、電話を切ったあとひどく憤慨していたので理由を聞いてみると、「今の人、用を足しながら電話してきてたんですよ。失礼じゃないですか」と。僕もトイレから電話してくるのは、「客以前に人として」失礼だな、と思います。


他にも、「テレビ見ながら」「夫婦ゲンカしながら」「運転しながら」など、「ながら」で電話してくる方が時々います。


携帯電話、スマホが普及して、「ながら」が当たり前な時代ですから、「失礼」というほどのことではないかもしれません(トイレはともかくとして)。ですが、電話をかける前に「問い合わせたいこと」「申し込みたいこと」をまとめてから、「ながら」でなく会話に集中できる状況で電話してくださると、電話を受ける側としてもスムーズに対応できて助かります。


復唱してもイライラしない

「イラつくから復唱は省略して」と、電話の最初に宣言してくるお客は、ごくまれだけどいます。口に出さずとも、そう思ってる人も一定数いるでしょう。実は、僕も「プロっぽいでしょう」みたいな雰囲気を出して復唱するようなオペレーターの話し方は好きじゃありません。


「復唱」とは、お客の伝えたことを間違えずに聞き取っているかを確認することであって、どちらかといえばオペレーターの都合にお客を付き合わせること。本来であれば、「復唱をしなくともミスせずに聞き取ること」の方がいい対応のはずで、僕が電話対応をするときも、復唱は「重要なポイントだけ」ゆっくり行うようにしています。


ですが、オペレーターはある程度の割合で「新人」であるのも現実です(正確なデータを確認したわけではありませんが、2年以上の業務経験があるベテランに当たるのは50%ぐらいの確率ではないでしょうか)。お客の用件把握や対応マニュアルの検索、聞いた項目のデータ入力がなかなか間に合わないことも多いです。ですから、対応中に聴取した項目を(どんなに簡単なことでも)随時復唱しながら対応を進めないと、なかなかミスを防げません。


「復唱」は必要なこと、として理解してもらえると助かります。

 

オペレーターの聞く順番に答えてくれる

先ほどの項目で書いたとおりに、オペレーターのうち何割かが「新人」であることを想定してくださると大変助かるという話の続きです。


お客の名前を聞いたときに、「住所」から答える人、あるいは「会員番号わかるけど言いましょうか」という人が時々いるのですが、「名前」をそのまま答えてくださるのが一番助かります。


これはものすごく単純でレベルの低い話なのですが、「名前」を聞いた瞬間には、PC画面の名前の入力欄にカーソルを置いているからです。その段階で名前以外のことを言われても、かえって時間がかかったりします。


顧客番号、会員番号などを先に言われても、オペレーターとしては困る場合があります(※もちろん助かる場合もあります)。というのは、顧客番号でデータを検索したとしても、その本人にしか内容は開示できないというガイドラインがあれば、先に名前をフルネームを申告してもらわないと、顧客番号を言ってもらっても話が先に進まないのです。


個人情報の取り扱いについても、その他のことについても、どのようなガイドラインやトークスクリプト(応対のための台本)、情報聴取の順番が適切かは個々の会社によって異なるでしょう。ただ言えるのは、オペレーターはそのガイドラインに添って対応するので、結局オペレーターの話す順番に従って話を進めるのが一番早いことが多いと思います。

 

メモを手元に用意してる

僕は4つの業種のコールセンターで働いたことがありますが、「コールセンターへ電話して、その場で要求が満たされる」ということは少ないと思います。


例えば、病院の受付業務を、医師はしないでしょう。受付の人が診察券や保険証を確認し、簡単に症状を聞き、番号札を渡して「○番の診察室でお待ちください」と案内する。受付の人が、病気の診断をその場でしないからと言って、怒る人はほとんどいないと思います。


コールセンターでも同様で、その会社が受ける可能性のある問い合わせや注文を聞き、話を整理し、対応ができる担当者や担当部署に受付内容を連携する、という体制がほとんどでないでしょうか。


よく、他の部署の電話番号を案内したり、担当者からの連絡を案内したりすると「たらい回しにするな」とお叱りを受けることがありますが、「電話を受ける業務」を分業化して、実際の対応者(上の例で言えば病院の医師)をその業務に集中できるようにするのが「電話受付」という側面もありますので、「たらい回し」こそがコールセンターの仕事と言えなくもありません。


(だからこそ、コールセンターの対応者の態度や、対応マニュアルは「たらい回しにされた」との印象にならないように慎重に設計されるべきだとは思います)


「たらい回しはしょうがない」という話をしたいのではなくて、「その場で解決しない場合も想定してください」という話です。電話番号や折り返しの連絡時間の約束などをメモできるように、用意して電話してくださると助かります。


ですます調で話す

「客と店員」の関係がどうあるべきか、はさておくとして、「タメ口」には「感情がストレートに出やすい」というのは間違いないのではないでしょうか。


立腹や苛立ちがある場合でも、不満や苦言を伝える場合でも、「ですます」を使ってくださるとオペレーターとしても冷静に対応しやすいと思います。


電話切る前に「ありがとう」

ごく当たり前の内容の、ごく当たり前の対応だったとしても、電話を切る前に「ありがとうございます」と伝えてくださる方が、実は結構います。オペレーターとしては、その一言で救われる思いがすることもあります。


コールセンターの電話対応が、満足のいく内容であることは、それほど多くないかもしれません。それでも、(それはそれとして)電話の最後にオペレーターにお礼を伝えてくださるような方が、オペレーターの成長を支えてくれているのかな、と思います。


おわりに

最後まで読んでくださってありがとうございました。もちろん、1人のオペレーターとしては、「ながら」でかけてくる人、自分の話したい順番に話す人、タメ口で話す人にだって、それに合わせて丁寧な対応をすべきだと思いますし、普段はそうしてるつもりです。


ただ、普段よく思うのですが、大抵の人は「お客でいる時間」よりも「働いてる時間」の方が長いはず。ならば、「お客が気持ちよく過ごすための接客」だけではなく「店員が気持ちよく働くためにお客はどうしたらいいか」を考える人が増えたほうが、世の中が気持ちよく回るんじゃないかな、と思ってまとめてみました。1つでも共感いただける部分があればうれしいです。

 

 

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「自分の意図は示すものであって、読み取ってもらうものではないですよね?」

 

会社で、家庭で、部活で、腹の立つ言葉ランキングがあるとしたら必ず上位に入ってきそうなのに、「言ってくれればやったのに」があるのではないか。あるいは、「(その仕事)教えてくれたら覚えるのに」とか。


ヤル気があるのかないのか分からない奴に、仕事を教えるのは面倒だ。当然、周囲にわかりやすくヤル気を示してる奴が優先して仕事を教わる。それをひがんで、「(僕だって)言ってくれればやるのに(何で言ってくれないんですか)」はさすがに図々しい。


(僕自身、ものすごく内向的な人間なので、自分を出すのが下手な人を責めようとは思わない。ただ、もしヤル気があることを認めてもらいたいのなら、それを示さずに周囲に責任転嫁するのはちょっとナイーブすぎるよね、という話。)


上のツイートは、「救急車が近づいてることに気づいていて、譲るつもりがある」のなら、よほどはっきり示さないと伝わらないだろう、ということ。救急車のドライバーとしては、事故を避けようと思ったら「あの歩行者は、救急車の存在に気づいていないか、気づいていても順番を譲るつもりがない人かもしれない」という想定で運転するだろう。


「内心尊敬してる」みたいなスカした態度では不十分だ。命に関わる(かもしれない)ことなのだから。


別の日には、「コールセンターで20年電話対応していて思うこと」として、こんなことを書いた。

 

 

要するに「横柄なお客」への恨みを訴えたただの「コールセンターあるある」なんだけど、たぶん客商売(つまり大小に関わらずほとんどのビジネス)をしている人なら似たような経験をしているのではないか、と想像する。


店員にタメ口で話すお客。「ああ、この人はどんな小さな優位性も見逃さずに味わおうとする、リスペクト貧乏なんだな。誰からも尊敬されてこなかったし、これからもそんな孤高を守っていくのだな。チーン」と思って我慢してるけど、「俺は威張ってるつもりはない」みたいなことを言ってくる奴を許すつもりはない。


「おたくも今忙しいでしょ。大変だね」「あんたが悪いわけじゃないんだから、言ってもしょうがないんだけど」とか。威張ってる上に、威張ってないと認めろ、と。それはポジティブがすぎるでしょ、と思う。


イヤな客がいるよね、という話が本筋なんじゃなくて、「そんなつもりはなくても、結構気をつけてないとイヤな客になっちゃうよね」という話が本筋。「言葉遣いや上機嫌な態度に気をつけなくていい立場」にいると、知らず知らずのうちに偉そうな態度になっちゃう、ということ。


「客と店員」という関係じゃなくて、会社内のパワハラ、セクハラも似たような構造がある。「優位な立場にいる人」は、相当繊細に気を使って「自分は権力を乱用するつもりはない」と示さないと、「あの人はフェアな人だ」とは思ってもらえないと認識したほうが賢明だ。


まあ、ひょっとしたら「客になった以上は店員に威張るのが当然だし、上司になった以上は権力を心ゆくまで楽しむ」と思ってる人も結構いるのかもしれない。そんな人は突然エスパーになって他人の本音が全部聞こえてくる呪いがかかればいいのに。

 

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