鯖缶@3rd&forever

2児の父のエッセイブログです。子育て、英語ネタ、コールセンターあるあるなど。

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「魔女の宅急便」でパパの存在感が薄い件

多分宮崎駿さんの本意ではないんだろうけど、「トトロ」と「ラピュタ」のテレビ放送は、「現代にもまだ残る、家族みんなが安心して楽しめる希少な娯楽」みたいなコンテンツになっている。

 

我が家でも、テレビでやるときは録画する。デコーダーの再生のやり方を覚えた子どもは、「一度見た番組を何回も見る」のが好き。ジブリのアニメに関わらず、「ベイマックス」とか、「おおかみこどもの雨と雪」とか、何回も見直している。(うちでは、「テレビは30分まで」「ご飯の時はテレビ消す」と一応約束があって、まあまあ守られているのですが、でも「10分休憩したらまた見てもOK」にはしているので、子どもがテレビばかり見てる日も結構ありがち・・・)

 

「魔女の宅急便」も、子どもたちの再生レパートリーに入っていて、先日もまた見ていた。僕も仕事しながらチラ見していて、結構衝撃的な事実に気がついた。

 

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キキのお父さん、存在感が薄い!

この作品に、お父さんが登場していたことは知っていたはずなのに、あまり印象に残っていなかった。


登場している時間は短くても、「お母さんの存在」はなんとなく印象に残っている。「魔女の血を受け継ぐ話」なのだから、「お母さんの存在感」は、ストーリーの重要な要素なのかもしれない。それに対して「お父さん」は、どちらかというと「忘れ去られること」に役割があるようにも感じる。


僕はこの作品を、子どもの頃から見ていて、たぶん4年に1回以上の頻度で見ていると思うんだけど、自分が父親になってはじめて、「お父さん」の視点から見ることになった。

 

お父さんがキャンプの道具を借りて帰ってきたのに、キキは「今夜旅立つ」と告げる。そして、心配する父のコメントなどほとんど耳に入れない勢いで、「うん、わかってる、大丈夫、いってきまーす!」と言わんばかりに、ものの3秒で父親の視界から見えないところまで行ってしまうのだ。

 

「わが娘も、僕のもとから一瞬で旅立つ日が来るんだろう。そしてそれは、13歳かもしれない」「やりたいこと、やるべきことが見つかった娘には、父親など不要」と、このことを心に刻んで生きていこうと思った。

 

と、勝手な感慨を抱きながら「魔女の宅急便」と、「魔女の宅急便を見るわが娘」を同時に見ていた僕は、もう1つ衝撃の事実に気がついた。

 

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僕は今まで、キキの視点でこの作品を見ていた! 大人になってからも、自分がキキのつもりだった!

「魔女の宅急便を見るわが娘」というフィルターを通じてこの作品を見ると、「他人の成長には手を貸せない」とか、「誰かの可能性を信じて祈るしかない」みたいな気持ちを追体験して、ハラハラする。この感じは、今までなかった。
僕は、娘が生まれたばかりの頃にも、DVDで借りて見たことがあるけど、その時は「父親の視点」で見ることはなかった。

 

ということは、 僕はキキになったつもりで「魔女の宅急便」を見ていたのだ。

 

「おかしいな、俺って天才なはずなのに、なんか調子悪くて人生うまくいかないな」「せっかく頑張ってお届け物したのに、この仕打ち! わかる! 悔しい!」みたいな。最後のトンボを救うシーンなんかは、「オレ、がんばれ、オレ、がんばれ!」という気持ちだった。

 

これには正直言って驚いた。30代の半ばに至っても、「思春期の渦中」にいた僕の精神性。しかも、そのことに全く自覚がなかった。なかなかに恐ろしい。そして、40歳を超え、ようやく「頑張る誰かを見守る気持ち」に同化できるようになったらしい。

 

「同じ作品を4年に1回見ること」(別に4年に1回じゃなくてもいいんだけど)って、ひょっとしたら何かに気づくきっかけになるのかもな、と思う。また忘れた頃に見てみたい。

 

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