25歳を過ぎてもなお、僕は自分で服を買ったことがなかった。祖母が通信販売で注文した服や、いとこのお下がりを母がもらったりしてきた服を、特に文句を言うこともなく、特に感謝することもなくなんとなく着ていたのである。
なんとなくサラっと書いたが、結構トンデモない話だと思うのでもう一度書く。僕は、自分で服を買ったことがなかった。
なぜ、そんなことになってしまったか。そして、そんな僕がどのようにしてオシャレに目覚めたのかを思い出して書きたい。
なんでオシャレが苦手になったのか。要するに、「引っ込み思案のなれの果て」だったと思う。小6まで、「学校のなかで一番児童数の多いマンション」に住んでいた僕は、友達づくりに苦労した経験がなかった。そのマンションのグループのなかでできた勢力は、クラス内でも遊びの中心になるのが自然な成り行きだったし、僕はなぜか、「リーダー的な男の子が一目置く、お気に入りの地味キャラ」みたいな「おいしい位置」に収まることができていた。
そのため、「ちょっと勇気を出したり、ちょっと工夫したりして、誰かと友達になる」みたいな機能がまったく鍛えられなかったし、そのことに気づいていなかった。
さて、そんな僕が小6の夏休みに転校し、「恥ずかしくて友達が作れない」という自分に生まれて初めて気づいた。同じように小6の2学期に転入した別の男の子と友達になることに成功してなんとか日々を凌いだが、中学からは私立に入って、「ふりだしに戻る」である。
そこで僕は「自意識過剰+引っ込み思案」というその後の人生でずっとつきあうことになる自分の性格を完成させたのである。
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「わーヤバい、朝から誰ともしゃべってないよ。かわいそうなやつ、とか思われてんのか?さあどうする? 隣の彼に話しかけよう。そうだ、話しかけよう・・・どんな態度で? 何きっかけで話すの? とか思ってるうちにもう30秒過ぎたんですけど・・・つーか、隣の席のクラスメートに話しかけるのですらこんなに緊張してるオレってヤバくないか? この精神状態がバレたらマジ恥ずかしいんですけど・・・そうだ。俺は、誰にも話しかけたくなーいー。おしゃべりよりも読書が好きだから、別にかわいそうじゃなーいー、とか思ってたらもう休み時間終わりだよ! 悲しいよ! でもちょっとほっとしたよ」
みたいな韻が踏めてないラップのような自問自答で、自分のキャラをこじらせていったものである。
そんな「自意識過剰+引っ込み思案」は、多少マシになったり、反動でより濃くなったりしながら年月が過ぎた。
大学生になり、ロクに友達も作れないクセに何故か劇団を作った。授業をサボって酒ばかり飲んだり、彼女ができたりフラれたり、「オレは天才のはずなのになんで面白い芝居が書けないんだろう?」というゴミのような悩みに苦しんだりしながら、人並みに青春を楽しんだ(マジで、人生ありがとう)。
そして、この間ずっと、「自分で服を買ったことがなかった」のである。
20歳を超えて、洋服を買ったことがないなんて、バレたら恥ずかしい→緊張する→緊張したことがバレたら恥ずかしい→緊張してないフリをする→その心理過程がバレたら恥ずかしい→「オシャレなんて、まったく興味ありませんけど?」という態度で、開き直って逆ギレ気味に生きる。
というのが、その頃の僕だった。結果、「中途半端に服装に気を使うぐらいなら、まったく無頓着のほうが実はイケてるんじゃないか」ということに強引に思い込んだ。「ロン毛+ヒゲ+ジーパン+適当なシャツ」という、「時代遅れのフォークソング野郎」の出来あがりである。
さて、こんな僕に転機が訪れる。
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①体重80キロオーバー
「おしゃれ無頓着キャラ」は、「悩める文学少年(天才だけに)」という自己意識によって許されていたものだった。それが、体重が80キロを超えた時点で、さすがに崩壊した。僕の身長は168センチで、文化系インドア派人間なので筋肉はほぼ皆無。なので80キロは相当にデブい。太宰や芥川のような風貌でなければ、「悩める文学少年」は、無理なんである。
②1年後に、妹の結婚式
妹が、結婚するということになった。僕の感想は、「ヤバい」だった。「妹が結婚するとすれば、その結婚式には、オレも出るんだろう。ならば、ならば、このままでは、ヤバい!」
学生演劇に夢中になって就職をサボっていた僕は、コールセンターの夜勤バイトをしながら、劇団を続けていた。だが、この頃の僕は、はっきり言って膿んでいた。20歳ぐらいの頃は「フォークソング野郎」も、ほんのちょっとはモテるのだが、25歳を超えたあたりで、ダメ人間はモテなくなる。モテないと、「このままでは、自分はアカンのではないか?」ということを薄々と気づいてくる(気づかせてくれて、マジ人生ありがとう)。
その、「自分はダメだと薄々気づいていながら、気づかないフリをして、自己嫌悪をこじらせてる人間」の出すオーラは、ヤバい。結婚式に、ふさわしくなさ過ぎる。妹に申し訳なさ過ぎる。
①+②が同時に来て、僕は決意せざるを得なかった。「今まで人生をかけて背を向けてきたオシャレに、ついにチャレンジせざるを得ない」と。(←就職しろよ、と我ながら思います。)
「次のフリースローが決まったらあの子に告白」とかそういうのと大差ない決意にも思えるけど、当時の僕は真剣だった。「オシャレができる自分になること」は、「己に克つこと」であり、「妹の結婚式に引け目を感じずに出ること」であり、「ダメな自分の逆襲」だったのだ。
さて僕は、目標を2つ立てた。「服を買うこと」と、「美容室で髪を切ること」である。
まずはダイエットを開始した。服を買いに行く勇気を出すには、痩せなければムリだ。これは、今から思うと奇跡のような話だが、結構簡単に体重は減っていった。夜勤バイトで生活のリズムが崩れまくっており、ダラダラと食い続けていた食欲は、「気のせい」だった(20代っておそろしい)。
そして、「服を買う」前に、服屋に入る練習をした。服は買わなくていいから、と自分に言い聞かせて、なんとなく服屋に入って、耐性をつける。そして、服を買う人のことを観察してみる。なんだ、あんまり難しそうじゃないぞ。「結構ダサい奴ばっかじゃないか」と。そりゃあそうだ。みんなダザかろうがなんだろうが、服を買うのは「大人として当たり前のこと」なのだ。「ダサい自分は服を買えない」みたいな極端な思想に染まると、劇団なんかやる羽目になるんである。
街中の服屋を、店の外から観察→自分でも入りそうな店に入って選ぶフリ。店員や客の動きを観察→退散という流れでチェックした。なんか、イケる気にになってきた。
そして、アーケードで人々を眺めた。「奥さんに逃げられた村上春樹の小説の主人公」のように。そして、作戦を練った。「オシャレとは、自分のキャラに合った服装をすることではないか?」と仮説を立てた。うん、きっとそうに違いない。
「自分はこんな感じの印象で世の中に参加したら、OKなのでは」ということを自分でわかってる人は、オシャレだ。派手だったり地味だったり、新しかったり古かったりと色々種類があるにせよ、全体的なトーンに失敗感がない。
そうでなくて、自分のキャラを考慮せずに、「アイテムとしてのカワイさ、カッコよさ」で服を選んでしまうと、どこかでバランスが崩れてしまう。服と靴、バッグとかトータルコーディネートができていても、その人の雰囲気と合ってなかったらあんまりオシャレにならないのではないか。
そんなようなことを、人々を観察しながら考えた覚えがある。服を一度も自分で買ったことがないのに。どういう精神構造をしていたのか。では僕は、どんなキャラがふさわしいのか。結構真剣に考えて、自分が出した結論はちょっと意外だった。
「控えめで、育ちが良さそうなキャラ」
なんだそれは! アホか、と我ながら呆れたけど、何度考え直してもそうなる。「オシャレな服」というと、どっか不良っぽい感じが混ざるものだが、その方向性は多分、自分には似合わない。そうじゃなくて、なんというか、そう、「親に買ってもらったような服を、恥ずかしがらずに自然に着る感じ」が、いいのではないか。まるでメビウスの環のような、シュールな結論だ。「自分で選ぶ」がミッションだったはずなのに、そのテーマが、「親が選びそうな服」だとは。なにかの教訓話か。でも、しょうがない。
「サイズと季節感をちゃんと合わせること」「靴とメガネはややまともなものを選ぶ」「あとはマジメで明るいもの」という方針にした。フォークソング野郎も、世間と妥協するのだ。そしてそれは挫折ではなく、さっぱりした出発なのだ、と。
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僕は検討の結果、商店街で入りやすかった店でデビューを飾ることにした。その店は角地にあって、南側と東側に出入り口があるので、1箇所しか入口がない店より「対決感」が少ないのだ。買うのはカーディガン。濃いグリーンの、優しい生地のカーディガンである。お分かりだろうか。「試着」という高いハードルを超えないでも買えそうではないか。
予算が足りなくなると決断が鈍って、迷ってるうちに恥ずかしくなってしまうことは目に見えていたので、多めにお金は持っていた。下見の時に買うことに決めていたカーディガンはあるのだが、何故かちょっと選んでるフリをする。
そして、店員に、
「これ欲しいんですけど、サイズってこれで合ってますかね?」
と、聞いた!
結構、自然に、聞けた!!! 内心自分に拍手をする20代後半の思春期野郎。たしか、その場で羽織るかなんかして、サイズを確かめる。買うことに決めたあと、驚きの展開が。
「これに合うようなシャツがあったら欲しいんですけど」
と、僕の口からセリフが飛び出したのである。驚いた。なんだこの大胆な発言は。そんな買い物慣れしたオシャレボーイみたいな発言が、僕にできるなんて。僕にとっては、「夜景の見える店を予約してあるんだけど」とかと変わらないレベルのセリフである。
こんな調子で、僕はオシャレデビューをしたのだった。「お気に入りの服を着てると、ちょっとだけ気分アガるよね」という、Jポップ的な気持ちを、生まれて初めて知ったのである。
その後、妹の結婚式までの間に、僕は美容室にも行けた。バイト先で一番オシャレだった(僕の目指す上品ナチュラル系の雰囲気をしていた)後輩に、美容室を教えてくれ、とそれまでの僕だったら到底できない相談をした。
紹介してもらった美容室は、ライトな風俗店みたいな名前の店(名前だけです。あくまでも)で、初めていくと、スタッフから両手に握手で自己紹介をされて、ほんの少しドン引きしたけど、みんな優しかった。カットだけで7000円もしたけど、正直言って結婚式の1週間ぐらい前に行くだけなので、別に値段は構わない。そんな店でも、客は全員が美男美女というわけでもなかった(当たり前である)。
「明るく、マジメな感じにしてください」と、オシャレを決意したとは思えないような注文で髪を切ってもらって、明るく、マジメなつもりになった。悩める文学少年は、少し休業である。
振り返ってみると、あんなにオシャレを怖がっていたのかも、その反動でオシャレに気を使ったのも、気持ちがわかるような、わからないような不思議な感じがする。
妹の結婚式が終わってからは、「恥ずかしくて服が買えない」ということはもう克服できたと思うけど、「オシャレへの意欲」よりは「気後れやものぐさ」のほうが上回ってることが多いし、せっかく減らした体重も、増える一方である。
でも、僕にとっては間違いなくひとつの転機だったはずだし、それは今も繋がってるなにかだった気がする。マジで、人生ありがとう。
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